夜行普通列車「からまつ」のスハネ30、小樽にて [この時期のスハネ30はスハネ12/16の代打か?] ~ 旅先での思わぬ出会い(Ⅲ)
2018/06/10
もくじ
私は小学4年から、社会人になるまで札幌に住んでおりました。
昭和47(1972)年、私は、横着者らしく自宅から一番近い高校に進学しました。
高1から高2の進級時、クラス替えがありまして、気の早い連中がなぜか、もうクラス会の第1回目を計画し、夏休みの最初の日曜日にしよう!!と大はしゃぎ。
高1の担任は、初老(というには失礼でしょうか)の落ち着いた感じの方でしたが、これまた、大層乗り気で、「会場は<小樽市立祝津水族館>、小樽駅集合だぞ!」と号令をかける程でした。
そういえば、その先生は、小樽→夕張→現職であったそうなので、懐かしかったのでしょう。それでも、ちょっと違った一面を見たような気がしました。
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夜行普通列車「からまつ」
<写真>メモには昭和48・夏としか書いておらず大失敗です。
当時の3番ホームに留置中の「からまつ」編成。写真中央のの車両は小窓がならんで「B寝台」とありスハネ30はほぼ間違いないところです。
左手の車両も客用扉の高さが高く、次位の窓が目隠しなのでスハネ30でしょう。
右は「ユニ車」と思われます。向かって左手が札幌方。
撮影場所:小樽駅・当時の3番ホーム。
器材:キャノネットQL17(キャノン)
条件:f:11、シャッタースピード:1/63秒
この時代、B寝台車は「スハネ30(Wルーフもまだあったようです)」、「軽量10系客車群」「20系」と前年昭和46年試作、試用、昭和47年から本格生産に入った14系14型(のちに2段寝台に改造される系列です)がありました。
この中で、戦前派のスハネ30000→スハネ30は冷房取り付けが、唯一不可能とされ、近いうちに淘汰される予定の車種でした。
一方で、戦前からの長距離寝台車つき普通列車の残党や、戦後、長距離普通列車に新たに乗客サービスで3等寝台車(昭和35[1960]年の等級改正で2等寝台車になる)を連結した列車群が全国に息も絶え絶え、生きている状況で、昭和40年代には下記の4本が残り、49年には新マルス導入で、寝台がコンピューター管理になるにおよび、これら4本の列車には愛称がつきました(◇1)。
☆からまつ(◇2):「小樽・釧路間」運転。
昭和49(1974)年7月からネームド・トレイン。
昭和55年10月廃止。
☆はたやま:「名古屋・天王寺間」運転。
夜間運行の「新宮・天王寺間」にB寝台x2輌連結。
昭和49(1974)年7月からネームド・トレイン「南紀」
昭和53年10月「はやたま」と改称。
昭和59年2月廃止。
☆山陰:「京都・出雲市間」運転。B寝台x1輌連結。
昭和50(1975)年3月からネームド・トレイン。
昭和60年3月廃止。
☆ながさき:「門司港発(大村線経由)長崎・佐世保行」。
長崎行きにB寝台x1輌連結。
昭和51(1976)年3月からネームド・トレイン。
昭和59年2月廃止。
「からまつ」については、「ほどちゃんの島」様のさらなる大研究(◇2)があります。
「からまつ」の原型となったと思われる昭和25(1950)年10月に登場した列車から、小樽・釧路双方の発着時間や連結車輌を時刻改正の度に追跡記載されている大作であります。
しかし、ここで、これら「人呼んで<四大夜行普通列車>」の全貌が明らかになったわけではありません。
以上の列車以外の、「昭和42(1967)年10月の門司港発長崎と鹿児島行きの2往復の普通列車には、すでに1輌ずつですが、<オハネ12>が各々連結されていた記録があります(◇3)。
☆疑問点1:これら普通列車の寝台車は待遇改善されたか?もしそうであれば、それはいつごろか?
「小樽のクラス会」の本日はスハネ30ですか?・・・しかし「4大夜行普通列車<からまつ>号の記録」様(◇4)には、スハネ30から10系寝台車に改善された時期のヒントが記されているように思います。
それは、昭和49(1974)年8月、滝川での撮影では、「ユニ+10系寝台車+スハネ30+旧形車輌」の順で写っており(◇4)、昭和51年10月改正の11月2日ー1月21日、3月21日―4月30日は<スハネ16x2+旧形4輌>編成となっており (◇4)、
また追跡していきますと 「1978年の夜行列車(編成表)」様では<スハネ16x2+旧形4輌>編成となっておりまして(◇5)、さらに「昭和55年春 夜行列車編成表 北海道 夜行列車」様では、<スハネ16x1+旧形4輌>編成と、スハネが1輌減となっておりました(◇6)。
列車自体の消滅がこの10月に迫っておりましたので寝台車の減車も無理なからぬところでしょうか。
☆疑問点2:マルス導入と同時にネームド・トレインになったのは2列車のみである。またほかの2列車はわざわざ時間差で南下しながら命名されているのはなぜ?
疑問点―1については、やはり、1度目の「からまつ」の撮影で、10系寝台車、スハネ各1輌、2度目が10系2輌であった『4大夜行普通列車<からまつ>号の記録』様(◇4)のサイト以上の示唆はないでしょう。
ただし、夏場の波動用として、夜行臨時急行を走らせた場合、普段使っている10系寝台車をそちらに、予備のスハネを車庫の奥から出してくるかもしれません。
<副題>の「この時期の・・・」はそういう意味です。
次に疑問点―2ですが、昭和49(1974)年から稼働しているマルスはWikipediaによるとありません。
昭和50年から導入された「マルス202」ならあります。
先代のマルス105は、K型端末は紋別駅、五稜郭駅、足利駅などの指定券発行の少ない駅や、御宿駅、石打駅などの季節波動の大きい駅等で導入されたが、操作性の悪さや発券可能な券種に制限があり、昭和50年、万博用にこれ程操作性が悪いことはマイナスである、と判断されたようです。
ただちに「202」に取り換えよう!!と
※昭和50年を待たずに先行投資した駅があった。
※「105-K」の不調例として、上がっている駅は関東以北である。
「202」の普通列車に対しての準備が完了するまで南にいくほど遅れた・・・?
というお答はいかがでしょう?
もちろん、私のほら話です。
この辺の事情のお詳しい方、御教示お待ちしております。
(写真・文/黒羽 君成)
参考サイト
◇1:『B寝台連結の普通列車』(ほどちゃんの島 - 寝台列車 様)
◇2:『普通からまつ』(ほどちゃんの島 - 寝台列車 様)
◇3:『寝台車を連結した普通列車について』の中の「車掌」様のコメント(客車列車の旅 様)
◇4:『4大夜行普通列車<からまつ>号の記録』(カラマツトレイン 様)
◇5:『1978年の夜行列車(編成表)』(横丁の名探偵 別館内)(横丁の名探偵 様)
◇6:『昭和55年春 夜行列車編成表 北海道 夜行列車』(夜行列車資料館 様)