汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

駅舎

昭和55-56(1980-81)年頃に撮影した札幌圏の駅(6)<美唄市の二つの駅、峰延・光珠内>

2018/06/10

今回は、予定を変更いたしまして、本シリーズ6回目、岩見沢・美唄間の美唄市域の二つの駅、<峰延光珠内>の御紹介です。

30年の間に、峰延の駅舎が更新されました。

この区間は、今までご紹介してきた駅勢人口が増加している区間と違い、石炭産業を中心に発展した沿線であります。

ですから、「炭鉱」がほぼ閉山した現在、いまだ沿線人口の流出が止まりません。

 

たとえば、次回詳しく御紹介予定のピーク時の美唄市には(もちろん「峰延・光珠内地区」も含まれますが)、 昭和29年(1954年)には約91400人(☆22)も住んでおりましたが、 平成22(2010)年は約26000人、さらに平成20(2008)年での「平成47(2035)年の人口予測値」は約17000人(☆22)と一層の減少が見込まれる厳しい未来が待ち受けているようです。

また、あまり知られていませんが、峰延地区にも明治37年(1905年)から明治40年(1908年)まで石炭が採掘されていた時期がありました(☆24)。

その峰延地区もごく一時期湧き立つような華やかな時代があったと伺います。しかし、今は隣の光珠内地区ともども、人口が漸減していく静かな農村地帯となっています。

そのためか、札幌発道東・道北まで足を延ばす特急列車をのぞくローカル輸送について、 岩見沢は、札幌方と、旭川方とでは明らかな輸送密度の相違する結節点と捉えられており、 同駅を境に列車本数に相当数の違いがあります。

札幌方(小樽・手稲・札幌)から進発し、岩見沢を経由地として以遠まで足をのばす列車本数は、 旭川行き2本、滝川行き5本のみで、うち旭川行きの1本は岩見沢に30分停車いたしますので、 考えようによっては岩見沢で分離できる別列車ともとれるダイヤ編成です (平成25年3月16日現在、以下の列車時刻も左記時点のものを参考にしました)。

 

さて、その辺の細かい諸事情は、次の機会に譲ることにするとしまして・・・

最初は岩見沢駅3番線に進入する滝川発岩見沢終着、上り2228M列車の先頭クハの景色からご覧頂きましょう。

このような上り列車は、滝川(江部乙)・旭川から岩見沢間にほぼ1時間に1本の間隔で設定されていますが、残念ながらネットダイヤではありません。

一方で特急がネットダイヤでありますので、一部が、岩見沢で特急列車に接続、札幌方面の輸送に貢献しています。全便接続ともなれば利便性も向上すると思われますが。

車輌は、朝夕が電車の3連、日中の旭川10時(滝川11時)、滝川14時と夕刻以降の滝川19時台発列車がディーゼル2連です。

当列車は711系交流専用電車3連で、滝川始発で美唄発16:05、乗客はほぼ100%下校時の高校生です。

左に見えるのは1番線で発車待ちの各駅停車、室蘭本線苫小牧行きキハ40系2連1472D列車です。

 

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<写真-31>
2228M711系3連、「下校電車」のいわゆる「かぶりつき」から岩見沢駅3番線に進入する様子を撮影。
左は苫小牧行きのディーゼル2連。
進行方向直進が札幌方、同左カーブ状方向が苫小牧方。
(撮影日:平成25(2013)年6月18日)

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峰延駅

美唄市域に入って最初の駅です。

昭和59(1984)年3月31日に無人駅化とありますので、それから3年半後の訪問だったことになります。

また、現在2面2線の棒線構造ですが、過去には上下本線の間に中線、下り方には副本線を持つ、単式+島式の2面4線配線でした。

今の配線になった時期については、明らかな資料はありませんが、架線柱が、下り方副本線をカバーするほどの幅がありますので、無人化以降に中線と退避線は撤去されたと考えてよいかと思います(☆24)。

 

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<写真-32> 峰延駅・旧駅舎 (撮影日:昭和56(1981)年9月10日)
最初の訪問時、無人化3年半後の姿の峰延駅。右手が下り美唄方。

 

最近の峰延駅

峰延駅・現駅舎
<写真-33> 峰延駅・現駅舎(撮影日:平成23(2011)年6月13日10:00頃)
特急スーパーカムイ9号の車窓から。左手が下り美唄方。
この日強風で岩見沢前後が徐行運転となり、たまたま下り本線側から駅舎を携帯電話で撮影できました。

駅舎改築は昭和63(1988)年です(☆24)。

 

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<図-7> 峰延駅構内配線図 左上り岩見沢方、右が下り美唄方。
黒線:現在も使用中の上下本線。赤:撤去された中線、下り副本線。
緑線:現在の架線柱幅

 

光珠内駅

複線化によって一旦廃止された信号場が駅として復活した設備です。

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<写真-34> 昭和56年の光珠内駅・駅舎 (撮影日:昭和56(1981)年9月10日)

訪問時は、国道側の長い駅前通りの入口から撮影した写真を拡大したものですので鮮明ではありませんが、駅舎は板張り無塗装のようです。左手が下り美唄方。

 

大正9(1920)年9月20日から大正13(1924)年6月1日の間、「光珠信号所」として開設、
列車交換設備が一旦廃止されますが[大正13年5月31日岩見沢・美唄間複線化(☆25)完成のため]、
昭和23(1948)年11月5日仮乗降場として復活、
昭和27(1952)年4月10日、改めて一般駅昇格となりました。

その後も昭和43(1968)年8月、跨線橋、退避線設置により現在の単式+島式の2面3線配線と設備は充実していきますが、
平成9(1997)年12月19日、運転要員も撤退し、完全無人化となりました(☆26)。

 

最近の光珠内駅

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<写真-35> 光珠内駅・現駅舎 (撮影日:平成25(2013)年6月18日)
<写真-31>と同一日の2228M711系3連の「下校電車」にのって、乗降用ドアから撮影。

いつの日からかは不明ですが、国道側も含め、表面を白く塗られました。

線路側のエントランスの形状とあいまって、独特の風貌となりました。もちろん、屋根の傾斜は以前どおりの急こう配です。

 

【参考】

☆22:「美唄市」:Wikipedia
☆23:「美唄市の人口の推移と推計(PDFファイル)」(北海道美唄市公式ホームページ
☆24:「峰延駅」:Wikipedia
☆25:国鉄・JR複線化年表「時刻表に見る<国鉄・JR>電化と複線化発達史 (キャンブックス)
三宅俊彦、寺本光照、曾田英夫、澤井弘之(共著)、 Can Books JTBパブリッシング 2011年2月15日 p152
☆26:「光珠内駅」:Wikipedia

 

(写真・図・文/黒羽君成)

 

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