汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

駅舎

昭和55-56(1980-81)年頃に撮影した札幌圏の駅(3)<苗穂・白石・厚別>

2018/06/10

今回は、札幌の東側の3駅、「旧・国鉄時代以来の車輌工場と運転区」がある苗穂、白石、厚別を御紹介いたします。

駅の規模自体はそれほど大きなものではありませんが、それぞれに構内配線の妙があり、時には札幌駅の補完を行い、札幌圏のJRの運行には、いずれも欠くことのできない要衝と言っていいと思います。

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苗穂駅 昭和55(1980)年7月27日撮影

三角屋根が付いた玄関と両翼が大きく広がった堂々とした構え、一時期札幌市電の終点でありました。

私個人の思い出として、幼稚園とそれ以前の三笠と美唄在住時代の5年間は、苗穂・白石間の「上白石川鉄橋(勿論当時はそんな名前は知りません)」を渡って、苗穂駅に着くと、母方の実家まであとひと駅で、従兄達に遊んでもらえるといった、「苗穂」は自分にとって楽しさが飛び出てくる「シンボルマーク」の様な存在でした。
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<写真-16> 苗穂駅をやや西側(札幌方)から撮影

<苗穂駅・再訪時>昭和57年(1982年)7月?日撮影,「日」の部分だけ書きおとしたようです?

大まかなところは変わっていないようです。。外壁の塗り直し、公衆電話が1から2台になっていますでしょうか?屋根の雪止め材が、見かけ一本材になりました。

この日、どうして苗穂駅を訪問したのか、まるで覚えておりません。

苗穂・白石間はすぐ函館・千歳の各線が複線の並列配線となりましたが、札幌・苗穂は暫く三線状態が続き[昭和40(1965)年9月25日から高架営業開始の昭和63年11月3日まで]、その後やっと複線並列となりました。

スペースは側線数本が並ぶほどで、複々線にする空間は充分あったのに、そこまで線増を行わなかった理由は全く分かりません。

 

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<写真-17> 再訪時は<写真ー16>を反対側、東側から撮りましたが基本的な構造は変わっていません。
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<図-1> 苗穂駅構内配線図

 

千歳線が苗穂から分岐していたころは(後述)、駅舎の手前のホームが千歳線上下線、運転所側が函館線上下線と線別ホームになっておりました(☆9)。

 

 

札幌運転所について

今回のシリーズで御紹介した駅の範囲からはずれていますが、手稲の一つ小樽側に「稲穂駅」があります。
そこに隣接するのが「札幌運転所」で主に電車基地です。

入れ替え用機関車の配置がないため入換業務は旭川運転所のDE10形、および函館運輸所のDD51形が間合い運用で担当しています(☆6)。

苗穂運転所について

基地内に苗穂工場が併設されています。また基地内は非電化です。特急形気動車と、札幌近郊で運用される一般形気動車を中心に配置されています。

入替仕業は旭川運転所所属のDE10形を用いて客車や気動車の一部を担当しています(☆7)。

また昨年10月27日の道内時刻改正にあたり、室蘭地区の711系電車をすべて引き揚げることになりました。

それをうけて、今まで札幌運転所(稲穂)受け持ちの711系運用<手稲5:57発-札幌6:24発-東室蘭着9:04>列車が手稲・札幌間がカットになり、ディーゼル化され、苗穂運転所受け持ちとなり、<札幌6:25発-東室蘭着9:05>列車となりました。

所要時間に変化はありませんが(頑張ってますね!!)、特急の退避駅が千歳から白老に変わったようですネ!?

苗穂工場について

開設:明治42(1909)年。

旧・国鉄時代から各種車両の製造、改造、整備、廃車解体を行っています。

北海道内で車両の製造ができる工場は苗穂工場・釧路工場の二箇所だけであります。

また、鋳鉄制輪子・銘板などの鋳物も製造しており、特に摩擦係数の高い特殊鋳鉄制輪子(ブレーキシュー)は冬季間の降雪・レール凍結時において、最高速度の130km/hから600m以内の制動距離で停止させることが可能で、これを使用しなければ十分な制動能力は得られないのです。

なお、JRの車両工場で鋳物職場が現存するのは当工場と東日本旅客鉄道(JR東日本)長野総合車両センターのみであります(☆8)。

電留線について

主に札幌駅折り返し列車の待機場所や、朝夕ラッシュ時の札幌発着列車用として使われることがほとんどですが、札幌駅北側留置線が使えないときは、この電留線が緊急避難的に使われます(☆9)。

元々、平成6(1994)年、 桑園駅 - 札幌駅間の三線化に伴い、貨物線・札幌方面ホームを駅舎側に移設し、旧ホーム跡に留置線2本を設置したものです(☆9)。

札幌・苗穂間は1.8kmです。

 

 

白石駅 昭和55(1980)年7月27日撮影

白石が、宮城県白石市からの入植を記して自分たちの開発場所を「白石村」としました。

札幌圏では珍しく通過線専用の本線格の中線があるのが特徴です(☆10)。

平成21(2009)年、橋上化。ホーム中央に階段・エスカレータがあると、残りのホームの幅が極端に狭くなり、列車通過時は少し恐怖感が出てきます(私の感想です)。

現在、千歳線の分岐駅となっておりますが、歴史的背景(後述)から、千歳線の起点は苗穂となって(☆10)おります。

旧駅は地方の中堅クラスの駅舎の規模とほぼ同等かと思われます。昭和43(1968)年9月完成(☆10)。

 

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<写真-18> 地平時代の白石駅。小ぶりでしたが、清潔な感じの建物でした。西側から撮影。

 

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<図-2> 現在の白石駅構内配線図、専用通過線があるのは付近ではここだけです。

 

 

厚別駅 昭和56(1981)年8月10日撮影

このスペースで上り線こそホームの面積は確保され得ませんでしたが、上下線とも退避線を作ってしまったという、コンパクトながら なかなか考えられた構内配線であります。

惜しむらくは、ホーム有効長に当たる部分をなるべく直線にしようと試みたせいか?

前後に急曲線を作ってしまい、厚別通過列車でも、 減速(特に札幌方に顕著)しなければならず、さらに、上り・岩見沢方の本線・副本線のポイントの分岐角も大きく、優等列車は副本線に入るとき余計に減速を強いられているように感じます。

また、仮に、千歳線の大幅遅延を解消したいときは、上り函館線列車を厚別駅で待機させて、千歳線列車を優先的に白石以西に進入させます。

札幌ー白石が複々線ですので、函館線・千歳線列車が白石以西に押し掛けても、一見線路容量には関係なさそうですが、札幌駅の容量がパンクするようです。

20年ほど前までは、上り特急が、雪害で3年に一度程度厚別で運転ち切りになっていましたが、さすがにそれはやめたようです(厚別駅から札幌市営地下鉄・新札幌駅まで、「タクシーでも使って下さい、あるいは近いので歩いて下さい」というようなことだったかと思いましたが、実際、地理不案内な私でも吹雪の中を歩いて15分程でJRまたは地下鉄新札幌駅に着いて都心まで行きつけましたが、これはもはや責任ある客扱いとはとても言えないでしょう) 。

また、札幌→苗穂は東南東を向いておりますので、このままの角度で岩見沢の方角を目指すのであれば、大麻か野幌あたりに直進させて方が合理的と思いますが、理論的理由がありました<図-5>。

 

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<写真-19> 札幌の東端の要、厚別駅。

訪問時、森林公園駅が開業しておりませんでしたので札幌市の一番東側の駅でした。

現在は、森林公園駅が札幌駅最東端の駅となりましたが、同駅が棒線駅でありますので、厚別駅の以前からの重要性は変わるところはありません。

 

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<図-3> 厚別駅構内配線図、太線は上下本線。

上下線とも各駅停車の列車を退避させて、優等列車の追い抜きができる配線です。

また、場合によっては、下り副本線(図中一番上の線)に「先発のディーゼル臨時特急」を退避させて、定期L特急が追い抜きをすることもあります。<図-4>もご覧ください。

 

特急を追い越す特急

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<図-4>先発の臨時特急ラベンダーエクスプレスはいつの間にか、後発のSカムイに追い抜かれています。

両者とも時刻表上では札幌・岩見沢間40.6km無停車となっております。

途中の厚別で運転停車しているラベンダーエクスプレスをカムイが抜くことが分かりました(私が実際に乗ってみました)。

JR北海道「道内ポケット時刻表・平成25年3月16日現在」から抜粋

 

 

泥炭地を迂回して線路を敷設した函館本線

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<図-5> 札幌周辺の地形

函館本線を地図で追うと、特に厚別を中心に白石・野幌間がV字渓谷のように、南側に落ち込んでいるように見えます。

私は、子供心に(=無責任に)「ここ、まっすぐにしちゃえばいいのに」と小学校低学年から考えるようになり、その考えは、大学生になるまで続いておりました。

しかし、函館本線の南側は

西部山地 - 発寒川扇状地 - 西部山地 - 豊平川扇状地 - 東部丘陵

とかなり地盤はしっかりしており(他にもいくつか細かい地層があります、(☆11)、線路の北側が低湿地帯または泥炭地であることと(☆11)対をなしております。

しかも、その、良好な地盤から泥炭地に移ろうかというところに、函館本線は敷設されているようです。

ですから、今の土木技術があれば、江別ー白石間を直線で結ぶ線路など作ってみることも可能と思われるので、シュミレートしてみますと、

現在線 札幌 ― 江別  21.0km
江別 ― 白石別線新線 ― 札幌まで在来線=13.3km+5.8km=19.1km

約2kmの短縮。

しかし、対費用効果を考えると、急行用複々線として使う方法以外では元がとれないのではないかとおもってしまいます。

逆手にとって、冬の列車遅延対策に、大麻ー苗穂または札幌に別線複線を敷いてみるのも有意義かもしれませんが?

また、稲積公園駅付近は開業に先立つこと3年前に、「出水頻繁地域」ということで高架化されていましたので、同駅は開業時から高架駅でした(☆12).。

明治期の技術・管理能力では、現在のコースに敷設することで「いかに冠水を避けることができるか」ということで頭がいっぱいで曲線部が多くとも、運休が起こりづらい堅実性を選んだにとどまったと思われます。

 

 

【参考】

☆6:『札幌運転所』:Wikipedia
☆7:『苗穂運転所』:Wikipedia
☆8:『苗穂工場』:Wikipedia
☆9:『苗穂駅』:Wikipedia 「苗穂駅電留線と旧配線の件」
☆10:『白石駅(JR北海道)』:Wikipedia
☆11:『地盤の概説』「札幌地域の地形」(出典:北海道土質コンサルタント, 札幌表層地盤図(2m深図), 1994): (全国電子地盤図)様
☆12:『稲積公園駅』:Wikipedia

 

(写真・図・文/黒羽君成)

 

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