汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

駅舎

昭和51(1976)年の宇都宮、日光、野岩鉄道開通前の東武鬼怒川線(その2)

2018/06/10

Ⅲ-1: 東武鉄道・鬼怒川線(前編)

今回は東武鉄道・鬼怒川線の要衝「下今市駅」と野岩鉄道開通前の鬼怒川温泉付近の駅をご覧いただきます。

鬼怒川線は、元々、下野(しもつけ)軌道→下野電気軌道が鉄道院・今市駅近くの「新今市駅」から順次延伸(始めは大谷川に渡橋できず対岸に大谷向[おおやむこう]駅を作りました)。
大正6年(1917年)から大正9年(1920年)までに15.4km先の新藤原駅に到達したものでありました。

その後、大正11年(1922年)電化(電気鉄道は前年から名乗ります)、電気機関車が客車を牽いて走り始めます。
鬼怒川の水力発電あってこその恩恵でした。

それから間もなく、昭和4年(1929年)東武鉄道が下今市に到達した際、省線との連絡を絶ち東武の系列化となりました。

また、昭和4-5年にかけて、途中の新高徳で2工区に分け、762から1067mmへの改軌を行い、最終的に昭和18(1943)年、東武鉄道に合併されました(☆6,7).。

 

私が訪問した1976年当時は、まだ野岩鉄道は未成で新藤原駅が終点でありました。

その時、新藤原駅構内配線は片面一線と、かつて使われたであろう弱々しい機廻し線とでなる片面ホーム+2線でありました。

 

なお「野岩」とは、栃木県の旧国名「下野」と会津地方を「岩代」と呼んでいた各々一字ずつをとって社名にしました。

その「野岩鉄道」ですが、元々は国鉄予定線で、古くは、奥羽線・米沢ー東北線・古河間の野岩羽線の一部でありました。

しかし、例によって後の赤字体質と申しますか、国鉄再建法により工事が凍結となっておりましたところ、地元の強い要望で、第3セクターのもと、昭和61(1986)年10月9日、新藤原駅から先、 会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅)までの30.7kmが開業。

東武鉄道との直通運転開始、ついで平成2(1990)年10月12日、会津鉄道の会津高原ー会津田島間が電化開業となり、浅草からの直通運転の区間が延長されました(☆8)。

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東武鉄道・下今市駅

東武鉄道・下今市駅
<写真3>東武鉄道・下今市駅

昭和4(1929)年の開業以来の駅舎でありました。築47年。国鉄・今市駅よりかなり元気そうです(当シリーズの①をご覧ください)。

 

「1700形」までの特急ですと、浅草発日光・鬼怒川行きは、4-6輌編成で来た場合、2輌1ユニットでしたので、ここ下今市で停車、分割し各々2方向に向かうことができました。

しかし、「1720形」は6輌1ユニットですので、分割併合は不可能です。

あとでお出しいたします、「6000形」を「連絡列車」と呼んで、特急鬼怒川行きと連絡列車・日光行き、あるいは特急日光と、連絡列車・新藤原行きというパターンができました。

前者のパターンが多かったようです。

多分、設備が大幅に劣る連絡列車の所要時間が日光線乗車のほうが短くて済むためと思われます。(日光・下今市:7.1km約7分、鬼怒川公園・下今市:14.5km約25分、線内各停)。

駅舎手前の薄いベージュにネイビーブルーの帯の塗色のバスは当時の東武バスです。

日光線、杉戸(→東武動物公園<昭和56(1981)年>改称)・日光間は開業時から複線線化路線でしたが、戦時供出(不要不急路線)で合戦場・東武日光間(94.5kmのうち44.5km)が昭和18(1943)年から20年にかけて単線化されました。

複線化への復旧は昭和30年(1955年)から始まり、昭和48(1973)年、合戦場・新鹿沼間16.8kmを最後に完成しています(☆9)。(私の旅行の時はすでに復旧後だったことになります)。

また、日光方面延長に際しては、当初、東武鉄道が佐野鉄道(佐野ー葛生)を合併 [明治45年(1912年)] した際(☆10)、葛生から<浅草ー杉戸ー館林ー佐野ー葛生ー日光>へと延長する案もありましたが、山越えのルートの上に、人口希薄地帯のため乗客数を見込めず、日光線の起点を杉戸に決めるとともに、日光までのルート選定も行ったようです(☆10)。

 

鬼怒川温泉駅

鬼怒川温泉駅
<写真4>鬼怒川温泉駅(☆11)

大正8年(1919年)3月17日: 下野軌道が狭隘の地に「下滝駅」として開業
大正11年(1922年)3月19日: 移転し「大滝駅」に改称
昭和2年(1927年)2月19日: 現在名に改称
昭和18年(1943年)5月1日: 東武鉄道鬼怒川線の駅となる
昭和39年(1964年)10月8日: 下今市方に1.2km移動新築(写真の駅)
平成18年(2006年)3月18日: 新特急「スペーシア」就役で駅舎再改築

 

 

2013-04-22-05
<写真5>鬼怒川公園駅に1720形の特急「きぬ」が到着

 

 

2013-04-22-06
<写真6>鬼怒川公園駅 ※先代駅舎

 

※写真撮影日<写真3-6>: 昭和51年(1976年)7月14日

【参考】

☆6: 「東武鉄道の系譜 中川浩一(著)」 鉄道ピクトリアル 1972年3月 臨時増刊号 vol. 22,No.263,P17,鉄道図書刊行社
☆7: 「下野電気鉄道 小林 茂(著)」 鉄道ピクトリアル 1972年3月 臨時増刊号 vol. 22,No.263,P119,鉄道図書刊行社
☆8: 「野岩鉄道会津鬼怒川線」:Wikipedia
☆9: 「東武日光線」:Wikipedia
☆10: 「東武鉄道の系譜 中川浩一」 鉄道ピクトリアル 1972年3月 臨時増刊号 vol. 22,No.263,P13,鉄道図書刊行社
☆11: 「鬼怒川温泉駅」:Wikipedia

※どなたか「鬼怒川公園駅」の現駅舎の改築時期を御教示いただけませんでしょうか?!!

 

(写真・文 / 黒羽 君成)

 

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