昭和51(1976)年の宇都宮、日光、野岩鉄道開通前の東武鬼怒川線(その3)
2018/06/10
Ⅲ-2: 東武鉄道・鬼怒川線(後編)
前回に引き続き、東武鉄道・鬼怒川線の御紹介ですが、今回は新藤原駅終点にスポットをあててお話を進めたいと思います。
新藤原駅
<写真-7> 新藤原駅駅前通り
駅舎は、おそらく、開業時からのものを丁寧に使っているという印象でありましたが、遠景の写真を見ますとサッシの導入、コンクリートの増強をはじめ、乗客用引戸がややいびつになっているなど、残念ながら、経年的劣化は相当進んでいるように見えました。築48年?※
<写真-8> 新藤原駅、駅長室と駅務室
駅長室と駅務室。スペースは結構あります。
待合室は撮影しませんでしたが、こちらもゆったり作られておりました。
ひとつ手前の「鬼怒川公園駅」までは完全に観光化しておりましたが、ここ新藤原は盲腸線の終着駅にふさわしい雰囲気!!と申し上げたら失礼でしょうか?
このとき、私は、「野岩鉄道」の話は全く知らず、そういった将来的伏線があったわけではないのでしょうけれど、こんな「山間の終点駅」に駅長さんがいらっしゃるとはちょっと信じられませんでした。
隣の駅から、管理助役さんでもお出になった時などにお使いになるのかと思って見ていたのですが、正真正銘の当駅駅長殿がおいでになり、駅の格からいってとても不思議に思いました。
<写真-9> 新藤原駅ホームと6000系浅草行き快速電車
駅配線はいわゆる「ツッコミ片面1線」にみえますが、細い機廻し線が残っておりました。
また、ちょっとわかりづらいのですが、確かに普段の輸送量は20m車x2連で充分なのですがホーム長が長めなのが、先ほどの駅長さんの存在と相まってますます不思議な駅でした。
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6000系電車(モハ6100/クハ6200)について(☆12)
「日光線快速用車輌」として、従来、昭和2-4(1927-29)年製の3200形が用いられてきました(☆13)。
WC付2扉車もグループ内にはありましたが、16m車であること、サイドシートで鈍足、何より経年的に劣化が激しく、特に1700、1720形就役以後は接客設備の見劣りは埋め合わせようがなく、新車投入となりました。
本車は昭和39(1964)年から41年にかけて、3次にわたって22編成44輌が作られました。
新型モーター、清潔な座席、冷房こそ付いていませんでしたが、平均的性能は1720形とそん色なく、当時、停車駅を絞った快速電車は、ほぼ毎時1本、特別料金なしで、浅草 ― 日光・鬼怒川地区を約2時間ほどで結び(特急は1時間40分程度)好評を博しました。
また、前回の②で御紹介した、下今市ー日光または鬼怒川温泉地区の特急連絡列車を担当、出場当初は 有料急行にも使われておりました(☆12)。
しかし、時代はいつまでもこの形のままで猶予してくれるはずもなく、ついに車体更新の日がやって参りました。
昭和60-61(1985-1986)年の約1年がかりで、6050系として22編成44輌が、後完全新製車も同一仕様で加わり、すべて野岩鉄道に譲渡されました。
主たる改善点はシートピッチの拡大、冷房化であります(☆14)。
私の訪問時の快速停車駅は以下のとおりです。
次回は、国鉄と東武鉄道の日光駅の御紹介と帰路一枚だけ写真を撮った浅草駅ホーム停車中の急行「りょうもう」号をお伝えします。
※写真撮影日<写真7-9>: 昭和51年(1976年)7月14日
【参考】
☆12:『私鉄車両めぐり[91] 東武鉄道』 青木栄一(著) 花上嘉成(著)
鉄道ピクトリアル 1972年3月 臨時増刊号 vol. 22,No.263,P93,鉄道図書刊行社
☆13:『私鉄車両めぐり[91] 東武鉄道』 青木栄一(著) 花上嘉成(著)
鉄道ピクトリアル 1972年3月 臨時増刊号 vol. 22,No.263,P75,鉄道図書刊行社
☆14:『東武6050系電車』:Wikipedia
☆15:『日本鉄道旅行歴史地図帳 5号―全線全駅全優等列車 首都圏私鉄 (新潮「旅」ムック) 』 大手8社私鉄優等列車停車駅表 p49
今尾恵介・原武史(監修) 新潮社 2010年9月18日
※:どなたか「新藤原駅」改築の日付を御教示いただけませんでしょうか?
(写真・文 / 黒羽 君成)