汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

駅舎

昭和51(1976)年の宇都宮、日光、野岩鉄道開通前の東武鬼怒川線(その1)

2018/06/10

昭和51(1976)年、私はこの年の夏休み、日光と伊豆に行って参りました。その一部を4回に分けて御紹介したいと思います。

<関係分旅程>
7月14日:東京を出発、その日は鬼怒川線を見て
7月15日:日光市内を徒歩・バス観光
7月16日:伊豆に向かう

昔、「湘南日光(☆1)」という国鉄の優等列車があり、旅行のコースとして無駄がないのかな?と思い、短い夏休みの旅程を、日光→伊豆と組んでみたのですが、日光―東京―伊豆急下田という乗換2回で、この距離(約300km、札幌ー函館間に相当)もさることながら、気温の関係もあって北海道人にはしんどい旅でした。

スポンサーリンク

Ⅰ:東北新幹線工事真っ盛りの、国鉄・宇都宮駅

まずは東北新幹線工事真っ盛りの、国鉄・宇都宮駅をご覧いただきましょう。

殺風景な、弁当箱のようないでたちではありませんか。

この時点でも、東北新幹線の大宮・盛岡間の暫定開業が、昭和57年(1982年)6月23日と開通までにはまだ6年もありました。

2013-04-17_01
<写真1>東北新幹線の工事中の国鉄・宇都宮駅
撮影:昭和51年(1976年)7月14日

廃藩置県の直後、栃木県は宇都宮県(県庁:宇都宮)、と栃木県(同:栃木)にわかれておりました。

小県整理合併の折、[明治9(1876)年]、2県は合併し、一旦栃木県(県庁:栃木)となりました。

宇都宮の人々は猛烈に反論しましたが、決まったものはしょうがない。

 

ところが次の県令・三島通庸が着任するや否や、すぐさま県庁を宇都宮に移しました。

当時、栃木の街は自由民権運動の盛んなところで、その勢いを削ぐための一手段だったといわれていますが、しばらくして民衆運動はかなり鎮静化したと伝えられています。(☆2)

名誉のために、皆様よくご存じと思いますが、日本で一番最初[明治18(1885)年]に駅弁を発売した駅ということを再確認しておきましょー。

 

Ⅱ:国鉄・今市駅

さて、続いては、国鉄・今市駅であります。

どうやら駅舎は明治23(1890)年6月1日、開設以来のものを使っているのではないでしょうか?

なんとなくうらぶれた感じ(失礼!)。

 

2013-04-17_02
<写真2>国鉄・今市駅
撮影:昭和51年(1976年)7月14日

国鉄が、東武鉄道・日光線に善戦していたのは、2台エンジンを搭載し、東京乗り入れで対抗した「キハ55」で「準急日光(☆3)」が運用されていた時期と、電化後の日光線に就役していた157系電車が、昭和44(1969)年、伊東線の「特急あまぎ」に全車転用されるまでの、わずか10年余の期間でありました。

それ以後は、東武にドンドン水をあけられる一方でした・・・

ついでながら、このときは、独立した「今市市」で「日光杉並木」の距離も圧倒的に今市のほうが長く残されていました。

日光市は悔しい思い?をしていたに違いありません。

しかし、平成の大合併で平成16年(2004年)3月、両市はめでたく合併。きっと、並木のことも上手くいっていることでしょう。

 

国鉄157系のライバル、東武鉄道に長期にわたり女王として君臨していた1720形(DRC)は皆様よくご存じの車輌と存じます。

その先代特急専用車は、国鉄日光線非電化の終盤に就役していた「1700形」と申しますが、2輌1ユニット、モノコックボディ、正面には逆三角形の特急ヘッドサイン、側面は狭窓がずらりと並び、客用扉は2輌で3枚とトータルバランス、スマートさではおそらく、当時の関東一の名車だと思われました。

浅草・日光間所要120分以下に短縮したのも本車でありました。

熱狂的ファンも多くおいでで、私はこの車輌で充分国鉄157系に対応できると考えましたが、やはり従来から東京乗り入れが相当ハンディと考えていた東武陣営だったらしく、日光線電化とともに、いきなり、「冷房がないだけで(冷房準備車でした)国鉄モハ151系に準じた車が<準急>で運転され、上野―小山はディーゼル特急・つばさより1分速い」という情報は全く入っていなかったようで、あわてて1720形を作ったときいております(☆4)。

その後、1720使用と1700使用特急とで特急料金に差をつけてみましたが、設備差はいかんともしがたく、途中1700形を冷房取り付け、固定窓化したものの焼け石に水で、更新の際、1720形と同じ外見になってしまいました。

しかし、実際乗車してみますと、更新車は横揺れがやや大きいようでした。

このときの旅行で運よく、更新車と始めから1720形として作られた両方に乗ることができました。1700形の台車はアルストム(空気ばね)形でしたが、1720形はミンデン台車(☆5)と、この違いが出たのかなあと思いました。

 

【参考】

☆1:湘南日光:日光ー東京ー伊東、準急として昭和36(1961)年3月1日運転開始。昭和41(1966)年3月5日、急行格上げ。
昭和45年10月1日、東京・日光間が廃止され残存区間は「伊豆」にまとめられました。
国鉄準急列車物語 (キャンブックス) 』岡田誠一(著)、JTBパブリッシング、2012年12月1日
☆2:えっ?本当?!地図に隠れた日本の謎 (じっぴコンパクト) 』P168-170、浅井健爾(著)、実業之日本社、,2008年7月30日
☆3:日光:日光―上野(-東京)、準急として昭和31(1956)年10月1日臨時列車として運転開始。同年11月19日定期列車化。
昭和32年(1957年)10月15日から東京乗り入れ。
昭和34年(1959年)9月22日、日光線電化され157系就役。
昭和41(1966)年3月5日急行格上げ。伊豆半島への「特急あまぎ」へ昭和44(1969)年4月、157系は全車転用されました。
国鉄準急列車物語 (キャンブックス) 』岡田誠一(著) p52-53、 、JTBパブリッシング、2012年12月1日
☆4:「巻頭企画 東武鉄道の昭和20・30年代を振り返る」花上嘉成(著)、
鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション 23 東武鉄道1950-1960, P10,
鉄道ピクトリアル12月号別冊 平成24年12月10日 鉄道図書刊行社
☆5:『私鉄車両めぐり[91] 東武鉄道』青木栄一(著)、花上嘉成(著)
鉄道ピクトリアル 1972年3月 臨時増刊号 vol. 22,No.263,P91,鉄道図書刊行社

 

写真・文 / 黒羽 君成

 

関連記事