昭和55-56(1980-81)年頃に撮影した札幌圏の駅(2)<4代目札幌駅と周辺>
2018/06/10
今回は、高架前の4代目札幌駅をご覧頂きます。
3代目札幌駅は、明治41(1908)年12月に完成、当時仙台以北では最大の木造建築とともにルネサンス様式の造形美で勇名をはせておりました。
その後を受け、4代目駅舎は先代の南側に民衆駅として、地下1階、地上4階のコンクリート建築で昭和27(1952)年から供用開始、昭和40年に5階部分が増築されました。
なお3代目駅舎は3分の2のレプリカですが、野幌森林公園内にある北海道開拓の村に復元され、同施設の正門を兼ねており、当時の雄姿の一端を偲ぶことが出来ます(※補足画像)。
さらにその後昭和63(1988)年、高架化がほぼ完成し、リニューアルされた5代目駅舎とともに今に至るまで発展が続いております(☆4)。
撮影日は特記なき限り、昭和56(1981)年8月10日です。
駅付近では函館線はほぼ東西に位置し札幌を南北に分断、<写真9,10>方を「南(改札)口」といっておりました。
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札幌駅4代目駅舎(南口)
<写真9,10>の2葉とも南口をやや西側(桑園方)からとりました。
現在「そごう」は撤退。建物はそのままに1-4Fは「ビッグカメラ」になっております。
<写真-9> 左側くすんだ紺色の建物が4代目札幌駅。
南口を駅前広場・西側(桑園方)から撮影。写真奥手が次駅の苗穂方向。
<写真-10> <写真-9>よりやや南西の駅前通りから少し離れて撮影。
<写真-11> 駅を背にして、南側の駅前通りを写したものです。
手前:じょうてつバス
奥:札幌市交通局
バスが2台写っております。手前の横縞が「じょうてつバス」(昭和48(1973)年5月31日に『じょうてつ(株)』と屋号変更しております)。
奥の、上がベージュ、下が朱色のツートンバスは札幌市交通局ですが、赤字がかさみ、バス事業からは平成16年(2004年)3月をもって撤退しております。
ついでながら、道内で最後まで残っていた市営バス「苫小牧市営バス」も、ついに平成24年3月でバス部門を閉鎖。道内から「市営バス」なるものが消滅してしまいました。
札幌駅付近の南北格差
札幌駅付近の函館線敷設の影響で鉄道線路を挟んだ南北の格差は「大なるもの」がありました。
昭和38(1963)年に「札幌駅北口」ができたときは「南北格差解消か?」と大いに騒がれたものだそうですが、何せ、線路を越す車道というものが、<写真-12>の西5丁目陸橋と<写真-13>の石狩街道陸橋、そのほかに片側1-2車線のほぼ開かずの踏切のような道路が数本ありましたが、これでは南北の流通がそうそうスムーズになるわけもありません。
※ 西5丁目陸橋: 昭和40年代中盤までこの陸橋をこえ市電が新琴似駅前まで行っていました。
(『<札幌市電の幌北(ほろきた)車庫をのぞく>-続・撮り鉄気取りが行く』,もご参照ください)
※ 石狩街道陸橋:(片側2車線ずつ・・・後3車線で西1から東1丁目の堂々たる大陸橋。
※ 札幌駅は当時西3-4丁目(1丁区画は約109m)。
<写真-12> 駅のすぐ西側(桑園方)にあった西5丁目陸橋、片側2車線
<写真-13> 石狩街道陸橋(片側2車線ずつ・・・後3車線で西1から東1丁目の堂々たる大陸橋)
<写真-13>で画面中央を横切る線が石狩街道陸橋です。駅まで徒歩数分~10分、バスは沢山きます。
立地がいいのですが、地代は安くないので、商店街は充実していませんでしたし、寂しいことこの上ありませんでした。
当時は駐車場にでもしますか・・・というところに落ち着いたようです。駅近くで駐車料金1時間250円は当時としても南側より50-100円安かったと思います。
今はもちろん大変賑やかです。念のため!!
<写真-14> 西五丁目陸橋<写真-12>の中ほどから写した札幌駅構内
写真左手(北側)に行くほど、ホームの有効長が短く、カーブもきつく、あとから付け加えていったようにもみえますが・・・私が小さい頃のホームは、単式1面(1番ホーム)+島式3面の7番線構成(※)のように記憶しているのですが・・・1番ホームは道内でも看板列車が発着(乗客は跨線橋を使わないので)するホームでありました。
当時道内でたった1本の「特急おおぞら[昭和36(1961)年10月1日運転開始]」と、千歳・室蘭線経由、札幌・函館間急行「すずらん」はおそらく、数往復ある急行の内、唯一全車指定(☆5)と言う理由からだと思いますが、この2本だけは上下列車とも何が何でも1番線発着だったように思います。
そのうち、昭和40(1965)年9月25日、 札幌-苗穂間3線化にともなって、一番ホームの片隅に切り欠きの千歳線折り返し列車専用「ゼロ番ホーム」なるものを作って、主に定山渓鉄道の単行ディーゼル車や千歳線・室蘭線列車を発着させたり[定鉄車の札幌乗り入れは昭和32(1957)年から]、島式ホームをもう1面作って4面としたり(始めから4面だったでしょうか?※)、結局10線構成で高架化まで持ちこたえます。
それにしてもホーム上屋はかなり波打ってますね。
跨線橋の改築は昭和33(1958)年以来行っていないと言うのですから、ホーム上屋の改修もきっとそうですね。
それから屋根の丸太の役割は落雪止めです。
枕木は木製ですが、間隔が狭く「タイト・プレート化」しており、札幌駅を高速で駆け抜けられるようになっているのにはちょっとびっくりしました(おそらくこのころはディーゼル特急の最高速度100-110km/hr程度でしょうか?)。
<写真-15> 札幌駅南口東側の「ホテル日航」最上階から現在の高架駅の様子を撮影。
写真向かって左手が南。駅の南側から順に1番ホーム2番ホーム・・・。5面10線+北側(右手)に側線X1。
写真上方で右カーブを描いた奥が小樽方面です。
高架化の開業は昭和63(1988)年、3番―10番ホーム+仮設11番ホームで暫定開業、平成2(1990)年に1・2番ホームを加えて全面開業に至りました。
<15>のみ撮影日:平成25(2013)年4月2日
【参考】
☆4:『札幌駅 地上駅(4代目)時代』:Wikipedia
☆5:『時刻表に見る<国鉄・JR>列車編成史 (キャンブックス) 』 三宅俊彦・寺本光照(共著)JTBパブリッシング 2011年9月1日 p58 昭和39年10月号「急行すずらん」
【補足画像】札幌停車場3代目駅舎
北海道開拓の村の正面入口に建っている札幌停車場3代目駅舎のレプリカ
(2010年8月21日 撮影:つちぶた)
※どなたか、4代目札幌駅が途中から8-9番ホームが追加になったのを御記憶の方おいでになりませんでしょうか?
どんなことでも結構です。御教示お願い申し上げます。
(写真・文/黒羽 君成)
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