汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

駅舎

昭和55-56(1980-81)年頃に撮影した札幌圏の駅(4)<大麻・野幌・江別・豊幌>

2018/06/10

今回は、札幌の衛星都市であります江別市内の上記4つの駅の御紹介です。

※撮影日は特記なき限り昭和56(1981)年9月10日、各駅の「乗車人員」は平成23(2011)年度数値(Wikipediaから)です。

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大麻駅[昭和56(1981)年]

札幌方から函館線を東進しますと、江別市の最初の駅です。

函館線沿線では初めての、計画的「大麻団地」造成+国鉄駅開設[昭和41(1966)年12月15日(☆13)]でした。

地域名の由来は「タイマ」が自生していたことによるとされていますが・・・

現在当駅は、3大学・2短大などがあるいわば文教地区の最寄駅となっております。

初期の団地入居者の方が退職されていく中、大麻駅発着の列車は「通勤列車」という性格が最近薄れてきており、乗降客は学生さんが中心となって、やや季節波動性がありますが、年間を通してみますと、ここ数年乗車数7600-7800人/日と堅調であります。

 

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<写真-20> 開設以来47年が経過、混雑時はやや手狭さを感じます。画面右手が札幌方。

 

 

野幌駅[昭和56(1981)年]

以前より夕張鉄道の終点で、「ローカル急行「かむい」が1-2往復停車する」など話題多き駅でした。

江別市の四つの駅の中で、最近、伸長著しい野幌地区の発展を反映して (現在乗車数6600人 /日)、同駅は江別市内で初めての高架駅となりました[平成23(2011)年10月23日]。

元々、夕張鉄道の函館線側の終着駅として、函館本線上りホームは国鉄と夕張鉄道とで島式として使用、中線も2本あって、単式+島式、2面5線駅でしたが、夕張鉄道の廃止[昭和50(1975)年4月1日(☆14)]、中線が2本とも撤去され、訪問時は上下線がかなり離れた特異な形の相対式2面2線式配線で、それが高架化まで長く続いておりました。

 

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<写真-21> 高架前の野幌駅北口(北上時の左手)。画面右手が札幌方。

現在は車も、建物もふえました。

南口の発展が多少遅れているようですが、高架化によって南北の格差が縮まることが期待されます。

 

 

江別駅[昭和56(1981)年]

過去には夜行急行、準急格上げ急行が停車しておりました。

現在は札幌から岩見沢方へ向かう便数の半数を超える近郊電車の折り返し地点として、また優等列車の退避駅として重責は変わることなく続いています。

 

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<写真-22> 昭和48(1973)年改築の駅舎です。江別駅をやや岩見沢方から撮影。画面右手が札幌方。

江別駅は都市代表駅ですが、乗車数、3800人/日と数値の上ではあまり多くありません。

実は昭和61(1986)年、国鉄時代の札幌圏の最後の駅として江別 ― 野幌間に高砂駅ができましたが、江別市役所他江別の官庁街へは、本家・江別駅より高砂駅利用のほうが圧倒的に便利で、乗降客がやや分散してしまったようです。

高砂駅は乗車数2800人/日なので、[高砂+江別]での乗員数=以前からの江別の乗員数と勝手に都合よく考えると、6600人/日とまずまずですね。

 

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<写真-23> 江別駅前。

「たばこ」の看板を直角に東光通りに右折すると旧・国道12号線となり、千歳川、石狩川鉄橋をわたり対岸の12号線・新道に合流しておりました。

現在は橋も撤去され東光通りから国道には出られなくなってしまいました。

隣の車が顔を出している「平和通」はこのまま進むと途中で東光通りに合流します。これは今も昔も変わりません。

 

 

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<図-6> 現在の江別駅構内配線図。

 

 

豊幌駅[昭和56(1981)年]

旧豊幌駅・駅舎
<写真-24> 台風の後遺症で江別・岩見沢間が不通時の豊幌駅。[撮影日:昭和56(1981)年9月8日]

豊幌周囲は当時まだまだ駅勢人口が低く、このようにたくさんの作業員さんが集まってきたとしても、クレームが出たということもなく、台風からの復旧作業の準備にここの駅前に集合!と暗黙の決まりのようなものが出来上がっていたようでした。

今のように、スーパー、コンビニエンス・ストア、若干の宅地化が進み始めたのは1980年代になってからだと思います。

 

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<写真-25> 現在の豊幌駅[平成23(2011)年7月?日9:07撮影]
(7:46小樽発岩見沢行各駅停車、143M列車からカメラ機能つき携帯電話で撮影)

偶然の思いたちから写真を撮りました。

依然として跨線橋は設置されていませんが、横断用構内信号がつきました。

 


 

「緊急告知」昭和55-56(1980-81)年頃に撮影した札幌圏の駅(2)<4代目札幌駅と周辺>>をご覧になった方々へ

私、皆様へ、
「どなたか、4代目札幌駅が途中から8-9番ホームが追加になったのを御記憶の方おいでになりませんでしょうか?どんなことでも結構です。御教示お願い申し上げます。」と御依頼しました。

このたび、今回のことで調べ物をしておりましたら、偶然の機会に、「鉄道ピクトリアル誌、特集 北海道の鉄道、1991-3月号、Vol.41 No.3 通巻No. 541」のP163に昭和35(1960)年の札幌駅配線では単式+島式3面の7線体制、昭和54(1979)年の配線では、単式*欠き取り+島式4面の10線体制となっておりましたが、いつからこのようにかわってしまったかについては何も書いてありませんでした。

この時期につきましては、引き続き皆様からの情報をお待ちしております。

 


 

さて、今回は、「廃線となった夕張鉄道」、「ドル箱路線であった、北海道中央バスの江別ー当別線が、学園都市線電化などで<路線消滅>となってしまった話」ですとか、「 昭和30年代前半(1950-55年頃)の蒸気機関車牽引の急行列車は、札幌・岩見沢間、無停車あるいは江別のみの停車でも60分もかかっていましたがそれはどうして?近郊電車の運用はどうなってるの」、など話題は尽きません。

沿線にまつわるエピソードは、前回同様、駅の御紹介が一通り終了次第御案内申し上げるつもりです。

 

 

【参考】

☆13: 『日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道―全線・全駅・全廃線 (1) (新潮「旅」ムック) 』今尾恵介(監修) p34 2008年5月18日
☆14: 『日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道―全線・全駅・全廃線 (1) (新潮「旅」ムック) 』今尾恵介(監修) p37 2008年5月18日


 

『30年前に撮影した、札幌圏の駅(4)<大麻・野幌・江別・豊幌>』は 終了です。

次回は30年前に撮影した、札幌圏の駅(5)岩見沢市の3つの駅、

・いつの間にか立派に橋上化された幌向駅
・一旦無人化の後、奇跡の有人化復活、上幌向駅
・不幸な火災に敢然と立ち向かい「ベスト・グッドデザイン賞」を勝ち取った岩見沢駅

の御紹介です。

 

(写真・図・文/黒羽君成)

 

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