汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

駅舎

惜しくも失われた駅舎(Ⅰ)[道東編] 網走駅、北見駅、美幌駅

2018/06/10

「北海道の駅にはこんな素敵な駅があったんだよ!もうなくなっちゃったけどね!!」

「惜しくも」などと、今回こんな大げさなタイトル物を作ってしまった最大のモチーフは、私が好きだった駅舎群を、是非!皆様にもご紹介したい!!というのが始まりでした。

それが、どーして今やるの?と聞かれると、・・・??です。

それには、昨年1月、自宅近く、札幌近郊・白石駅が改築されたことが、間接的な動機になっているような気がします。

 

「駅」は独断と偏見で選択いたしました。

駅舎の大御所が沢山おいでの中、私ごときが出来る仕事ではないのですが、紹介の順番も意図的なものは何もなく、思いつくままで、2回の道東旅行の中で、「今見ても印象的」と思える駅といえば、少しはカッコもつきますが、早く言えば、ただのないものネダリと言えば、それまでなのかもしれません・・・

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網走駅・旧駅舎

網走と北見から話は始まります。

大学1年生の道東旅行です。

その時、 私は網走に実家のある大学の同級生のお宅に御厄介になり、帰路に、以前から 「大都市にも引けを取らないようなイキゴミ」を感じさせる、大時計付き塔屋が素晴らしいと思っていた北見駅を見に行くことにいたしました。

 

網走駅・旧駅舎
<2代目網走駅>

撮影日:昭和51(1976)年8月2日
開設日:大正元(1912)年10月5日
昭和7(1932)年2月1日に現在地に移転
(初代は「浜網走」と改称後、昭59廃止)、写真は2代目駅舎。

*複数線区が乗り入れる駅としては(現在)日本最北端。
*アルファベット表記では日本の駅で一番先頭の駅です。
*新駅舎(3代目、現在の駅舎)が完成するのは、昭和52(1977)年12月12日

ハーフティンバーが建物の装飾模様として見事に一体化した大型建築物でありました。

また、右翼が飛び出しており、「曲がり屋」あるいは 「厩中門造り」風ですが、それがますます北国的情緒を高めていました。

曲り部が母屋の高さと同じところが「中門」風で、曲り部の妻面に扉が無い所が「曲がり屋」のつくりで、網走駅は両方の特徴を持っているようにもみえます。

ですが、そんな細かいことより、車寄せ中央玄関があるので、建物の保温上、設計者の方は、高天井の右翼に扉を配して、「中門造り」までする必要はないとお考えだったと思います。

さらに車寄せ上部のファサードと時計も控えめで建物全体の調和を崩すこと無く鎮座しているではありませんか。

いろいろエラソーなことを申してきましたが、失礼なことに設計の方を存知あげず、どなたか御教示頂けませんでしょうか。

遠く、御自身の、ふるさとの野山を思い浮かべながらの御作でしょうか。

単なる偶然なのですが、新駅舎完成まで、約1年しかない時に、すばらしいバランス感覚と装飾感覚が混然となった芸術品のような先代駅舎にお目にかかれて幸せだったと思います。

 

北見駅・初代駅舎

北見駅・旧駅舎
<初代!!北見駅>

撮影日:昭和51(1976)年8月6日
開設日:明治44(1911)年9月25日、野付牛「のっけうし」駅開設。
昭和17(1942)年10月1日、北見駅に改称。
昭和58年(1983年)10月1日、改築

※平成24.5現在自動改札機は導入されていない。
※交換列車無き限り、到着列車は1番線入線

 

地方の中核都市の駅としても、貫禄がありすぎるほどの立派さです。

それでなお、どこか、札幌時計台や、関西の古手の私立大学の校舎のイメージとも重なる不思議な魅力をたたえた駅舎でありました。

板壁は、下見板張り、大きめの三角ファサードと、それに続くひさし屋根。

また寄棟の屋根も結構急で、積雪対策もバッチリの、クールな中にもチャッカリ機能性を備えた万能選手でした。

しかもこれが明治期の作!隙がなさ過ぎて言葉も出ませんね!!

ひょっとして、私、人口10万人以上の駅の中で、ここが一番好きだったかもしれません。

 

美幌駅・旧駅舎

さて、道東編の最後は美幌駅であります。

例によって、先の網走の友人の家までの2度目の旅行です。私たちは4年生になっていました。

数人で押しかけましたが、その中で、いわゆる「鉄ちゃん」は私一人で、しかも、みな、自家用車で、札幌・網走間を往復しましたので(もちろん私もです)なかなか単独行動で好き勝手に鉄道写真ばかり撮っているわけにも参りませんでした。

みんなで移動の途中、休憩をとったすきに、やっととった一枚がこの写真です。

美幌駅・旧駅舎
<2代目美幌駅>

撮影日:昭和54(1979)年8月2日
開設日:大正元(1912)年10月5日、開設。
昭和4(1929)年、改築。
昭和60年(1985年)12月1日、改築

 

腰折れ型の大型ファサードが車寄せを覆っています。正面から見ますと、妻面がハーフティンバーになっています。

玄関の空間の囲みは細い柱で区切ってありますので、風雪の強い日は風除けとなり乗降客の強い味方になったでありましょう。真夏は、風の通り道としての機能があったと思われます。

駅名表は、筆太にして墨痕鮮やかとでも申し上げて良いのでしょうか、存在感あふれる看板となっておりました。

外壁はもちろん、下見板張りであります。

ご紹介の駅数も少なく、駅の魅力も充分伝えられているとは思えない文章ですが、皆様には、3ツの駅が、少なくとも私には「名駅」だったということが、多少なりとも感じ取っていただければ幸いです。

 

『惜しくも失われた駅舎(Ⅰ)<道東編>網走駅、北見駅、美幌駅』終了

『惜しくも失われた駅舎(Ⅱ)[道央編]手稲駅、岩見沢駅』へつづく

 

写真・文/黒羽 君成