汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

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撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その2)~近江鉄道1983

2018/06/10

<1983年4月24日> *大手私鉄もビックリの「近江鉄道」へ

何がびっくりかって?おいおい御説明申し上げます。

それでも、この鉄道については多くの方が興味をお持ちになり、多くのすぐれたレポートがありますので、私の話は「以前から興味のあった私鉄の自己満足訪問記」といったところでしょうか。

それというのも、私の当初の目的は
①ED14がひくセメント列車に会えるといいな!
②旧・八日市鉄道本社社屋兼現新八日市駅舎が見たい!

このふたつだけだったのです。

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その1:近江鉄道の生い立ち

御存知のように、近江鉄道は、近江本線(米原・貴生川間47.7km)、多賀線(高宮・多賀間2.5km)、八日市線(近江八幡・八日市間9.3km)の3線、計59.5kmからなります。

明治31(1898)年6月11日、彦根ー愛知川間12.1kmが最初の開業区間でした。

この中で八日市線はあとから近江鉄道に加わった仲間なのですが、旅程の経路の関係で、同鉄道の訪問は、八日市線の起点であります、近江八幡駅からのスタートです。

「ことのついで」といっては八日市線には失礼ですが、成立の過程は少し複雑ですので、先に図示しちゃいましょう<図1>。

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<写真1>近江八幡駅です。

 

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<図1>「近江鉄道・八日市線の成立過程」(☆1)

 

……………………………………………………………………………………………
・大正2年(1913年)12月29日:湖南鉄道が近江八幡ー新八日市開業、*蒸気動力、
・昭和2年(1927年)5月15日:びわ湖鉄道汽船に合併される
・昭和4年(1929年)4月11日:びわ湖鉄道汽船から鉄道部門を分離、
八日市鉄道に譲渡。
・昭和5年(1930年)10月1日:新八日市ー飛行場間開業
・昭和19年(1944年)3月1日:近江鉄道に合併される
・昭和21年(1946年)1月1日:近江八幡ー新八日市電化完成
新八日市ー八日市開業(この区間は当初より電気運転)
・昭和23年(1948年)8月1日:新八日市ー御園(←飛行場を防諜の目的で 改称)休止
・昭和39年(1964年)10月10日:上記区間廃止

……………………………………………………………………………………………
#「八日市鉄道誕生と申しますか、その後の近江鉄道の堅調なる発展」のポイントは二つありそうです。

 

1)中編の②ー1で出てきた「大津電車軌道」は、滋賀県進出を狙っていた京阪電鉄の版図拡大を何とか阻止したいと、太湖汽船、湖南鉄道と合併、体質を強化して一旦はこの作戦うまくいくのですが、しばらくすると・・・

□1.石山坂本線への過剰投資と比叡山ロープウェイの完成により、同線の乗客が減少し支出過剰に、
□2.京阪系列の湖南汽船が大型観光船を就役させ、びわ湖鉄道汽船の水上交通をも窮地に陥れました。

そのため大津電車グループは万策尽きて、昭和4年、京阪に下りました。

その時、京阪が興味を示さなかったのが元・湖南鉄道線で、「八日市鉄道」として再出発となりました(☆2)。

この時期、積極策を取っていた京阪電鉄の投資が回収しきれないうちに、昭和恐慌に突入、旧・湖南鉄道線をあきらめた、という見方もあるようです(☆3)。

 

2)ところが、この八日市鉄道は、当時の八日町(→八日市市→平成17年(2005年)2月平成の大合併で「東近江市」になりました)が、元々あった地元の沖野ヶ原飛行場改め八日市飛行場に旧軍・飛行隊の誘致運動を始めます。

大正11年(1922年)1月11日、陸軍航空第3大隊の誘致・開隊に成功。

その後、大正14年に大隊から昇格した飛行聯隊(昭和13年飛行戦隊=聯隊とほぼ同義に改称) <☆4>や、八日市飛行場のために新八日市から飛行場まで新線が敷かれ、人・物資の輸送にあてられました。

昭和20年終戦を迎え、八日市鉄道線の近代化は緊急性がなくなっていましたが、工事途上であったことや、ごく近い将来石炭不足が予測されていたことから、昭和21年に既設線の電化と、本線との連絡線が認可されました。

※昭和40年代以降、高度経済成長期に入ると、八日市線が「旧・八日市市域」から京阪神へのバイパスとして機能、ひいては近江鉄道が比較的順調である要となり続けています・・・

・京阪電鉄が進出してこなければ、湖南鉄道は近江鉄道の一員になっていたかどうか?
・なぜ京阪電鉄は滋賀県全県を勢力下におこうとしなかったのか?

・・・・こればかりは巡りあわせですから、神様以外解りませんね!!

 

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<図2>飛行場線(御園線)付近の地図
新八日市ー飛行場<2.8km>免許年月日:大正13年7月28日、運輸開始年月日:昭和5年10月1日

 

 

その2

まず元・八日市鉄道本社社屋兼新八日市駅舎をご覧いただきます。

 

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<写真2>新八日市駅舎です。

私はこれたった1枚だけです。

下見板張り洋館風。八日市方に駅事務所のような2連窓。2階は事務部門の部屋の集まりでしょうか。
そして近江八幡方には団体専用出入り口のような柵が見えます。

この駅舎については

・新八日市駅(近江鉄道八日市線
・駅と駅舎の旅写真館>古く美しき駅舎」>三つ星クラスの駅舎>洋風木造駅舎)駅の写真館>近江鉄道・新八日市駅
・めくるたび、新八日市駅
・「廃線探索八日市線」の一駅として

をはじめとする多数のどのサイト様も緻密なレポートを寄稿されておられます(以上のサイト様は文末の参考から省略させていただきました)。

写真一枚でごまかしているのは私くらいなものです・・・
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<写真3>八日市駅であります。
当時はまだ八日市市でありました。

 

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<写真4>八日市駅前です。

 

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<写真5>八日市に停車中の500系電車です。

500系は最盛期にはMT編成6本(モハ500+クハ1500)が在籍しましたが、現在すべて過去帳入りしてしまいました。

一応、6編成澄まして、同一人物顔しておりますが、近江鉄道の場合、種車が全く違う場合や、経歴不詳のものをどこからかかき集めてきては、ほぼ同一の制御システムと性能の電車を何本か作ってしまいます。

自社工場の整備・保守部門のレベルの高さが窺えます。

終戦直後の西武鉄道とやり方など少し似ているかな?とも思います。

親会社に似てくるのでしょうか?(西武の系列下になったのは昭和18(1943)年5月10日です(☆5)。

 

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<写真6>彦根駅です。

本鉄道発祥の地であります。

 

その3

私が近江鉄道を訪問したもう一つの目的はED14が牽くセメント列車が見たい!という他愛ないものでした。

昭和58年(1983年)当時は「これでもかッ!!」というくらい貨物の往来が多い鉄道でしたし、荷自体が重く長大編成が多かったように思います。

高宮のビール、彦根・多賀大社のセメント工場からの積み荷、武佐からのカーボン材・・・・

強力ELもそろっていました!

ED14(国内私鉄第3位のパワー)x4台、ED31x5、ロコ1100x1、ED4400x1・・・(☆6)

ところが、チャッカリ昭和63(1988)年貨物輸送はおやめになったとか全国的に、特にセメントは1970年代から貨車輸送は減量傾向だったんですってね・・・知りませんでした。

私が、彦根で張っていた日も待てど暮らせど、長大貨物は来ず、低出力機の出番はなおなかったようでした。

なお、現在、近江鉄道では、EL運転の資格を持つ方もおられないようで稼働はしていないとか・・・
でもED14だけは全機彦根駅「近江鉄道ミュージアム」に保存してあるようです(☆7)。

 

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<写真7>彦根駅構内です。
如何にも動きだしそうな貨車群はいますが・・・

 

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<写真8>写真7の拡大です(左スミの方です)。
今日の収穫はED4400(手前、出力596kw)とロコ1101(1100、奥、164kw)でOKとしますか?

 

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<ED14:クレヨン、水彩色鉛筆、修正液>
こんなような面構えです・・・
最後に小学生の写生会のような絵を出してきてスイマセン。

 

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<表1>私鉄三大出力EL (☆6)から抜粋
No 1は別格として、東の横綱が西武で西の横綱も西武系とは・・・

 

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<写真9>Mc500+Tc1500 彦根駅到着

 

【補足】

近江鉄道ミュージアムに保存されているED14、ロコ1100
(2012年4月7日 以下3枚・撮影:つちぶた)

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①近江鉄道ミュージアム、手前からED144、ED143、ED142、ED141。

 

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②ロコ1101

 

DSC_6502
③彦根駅の跨線橋上から近江鉄道ミュージアムを見下ろしたところ

 

その4

いよいよ大手私鉄もビックリの時間です。

あのー、多分皆さん御存知と思いますよ・・・ビックリするのは大手私鉄なんですから・・・

思いもよらぬタイトルホルダーはやはり老舗を思わせます。(以下☆8から抜粋)
1.民営鉄道会社名の国内最長記録保持会社!

  設立:明治29(1896)年6月16日
*第2位の東武鉄道は明治30年11月1日設立。
*最長存続記録保持会社は上信電鉄(明治28年12月28日)ですが、会社名が「上野鉄道→上信電気鉄道→上信電鉄」と二回変わっています。

2-1.明治期に「私設鉄道法」で設立された中小民鉄:近江鉄道、上武鉄道(→秩父鉄道)、上野鉄道の3社。
2-2.明治期に「私設鉄道法」で開業した中小民鉄:上記3社+龍ヶ崎鉄道(→関東鉄道竜ヶ崎線)、豆相鉄道(伊豆箱根鉄道本線)、伊予鉄道、南予鉄道、道後鉄道(以上3社で現在の伊予鉄道)の計8社。
2-3.明治期に設立された中小民鉄の中で現在まで会社名が変わっていないのは近江鉄道、島原鉄道(明治41年)、岡山電気軌道(明治45年)の3社。

3.明治期に「開業した」中小民鉄路線:16社21区間。
※従って、大手・中小の鉄道企業を合わせて、「①明治期に私設鉄道法で開設された鉄道で②開業も明治期に済んでおり③開業時の屋号をそのまま現在も使い続けているのは、「東武鉄道と近江鉄道」のみであり、なおかつ歴史的には近江鉄道の方が古いのであります。

 

ちょっとびっくりしたところで 「撮り鉄気取り」が行く(Ⅲ):中編のその2はおしまいです。

自分としては大旅行でしたので、次回は番外編としまして、旅行中、印象に残った車輌たちを皆様と一緒に見てまいりたいとカクサクしております。

 

参考

☆1.総説:京阪電気鉄道、内田敏雄 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>京阪電気鉄道、
1991年12月、臨時増刊号、Vol 41,No 553,p12,鉄道図書刊行会
☆2.京阪大津線の80年、高山禮蔵 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>京阪電気鉄道、
1991年12月、臨時増刊号、Vol 41,No 553,p115-116,鉄道図書刊行会
☆3.『京阪電気鉄道』:Wikipedia
☆4.『八日市飛行場』(元老院議員私設資料展示館 様)
☆5.関西地方のローカル私鉄 現況 1 近江鉄道、白水 剛 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>関西地方のローカル私鉄、
1985年3月、臨時増刊号,vol 35,No 445,p93,鉄道図書刊行会
☆6.私鉄電気機関車の現況 私鉄電気機関車車両諸元表、大幡 哲海 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>私鉄の電気機関車、
1984年7月、vol 34,No 434,p25,鉄道図書刊行会
☆7.『国鉄ED14形電気機関車』:Wikipedia
☆8.関西圏ローカル民鉄8社の推移 現況 中川浩一 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>関西地方のローカル私鉄、
1985年3月、臨時増刊号,vol 35,No 445,p10-15,鉄道図書刊行会


 

『撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その2)~近江鉄道1983』 終了

『撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その3)~印象に残った車輌1983~小田急・名鉄・福井電鉄・京福電鉄』 へ続く

 

(写真・表・絵・文 / 黒羽 君成)