汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

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撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その1) ~国鉄信楽線、京阪電鉄・石山坂本線、浜大津駅のスイッチバック

2016/08/19

中学以来の滋賀の「瀬田の唐橋」「白鬚神社」への思い(前編)は時間がたつにつれ次第につのり、社会人になるころには、「絶対行ってやるぞ」といったような、むしろ「ムキ」になっていったような感さえありました。

[2012-09-24]付コラム『能美線・本寺井商店街街灯』でもご紹介しました通り、私の就職した職場の初出勤は、当時GW明けでよい、と伝統的に決まっていた不思議なところと申しますか、30年も昔の話ですからそれだけノンビリしていたのでしょう。

「こいつを使わない手はない!!」

私は、社会人1年目の就業前、アチコチから旅費を工面いたしまして、下記のような大それた一大旅行を企てました。

モー、心は湖西方面です。

ソレカラ!今回から、メンドーなのでオート・カメラにしました!!

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旅程表

昭和58年(1983年)

4月21日:[小田急ロマンスカーに片道だけ乗ってみました(新宿ー小田原、3100形)]
4月22日 :名鉄ちょっと+近鉄狭軌線ちょっと(北勢線[*]七和まで+内部・八王子線日永まで)と、少しずつ乗りました。
4月23日 :信楽迄[国鉄・信楽線:徒歩にて]―<国鉄バス>―石山寺→三井寺―<京阪・石山坂本線>瀬田の唐橋→近江八幡
4月24日 :近江八幡―新八日市―八日市―彦根<近江鉄道>→武生―<福井鉄道・京福電鉄ちょっと>―福井―永平寺―丸岡城

4月25日 :兼六園―北陸鉄道・小松線は小松駅のみ、浅野川線乗車で往復
4月26日 :北陸鉄道、石川線・金名線はレンタカーで金名線終点の白山下まで[**]参りました
4月27日 :(帰路)

※*もともと近鉄・北勢線でしたが、業績不振で廃止の意向を打ち出したため、三岐鉄道が平成15年(2003年)4月1日から10年間の期限付きで地方自治体の援助を受け、運営を継承しております。
※ 伊勢湾側のターミナル、北勢線・西桑名ー三岐鉄道・富田間は約8km離れていますが、内陸側のターミナル北勢線・阿下喜―三岐鉄道・西藤原間の直線距離は約4.5kmで、内陸にいけばいくほど両線は近づきます。三岐鉄道は北勢線をおさると、自社のサービスエリアが広がり商業活動はしやすくなると思われます。
※**[2012-09-24]付コラム「能美線・本寺井商店街街灯」と[2012-05-29]の[超絶秘境?山の駅の運命]を御紹介した日です。


 

ここで、全部の日程の詳細をご紹介していましたら、紙面がいくらあっても足りません。

今回は高校の修学旅行の続きで、中学時代から「意地になっている滋賀県」に話をしぼって進めさせていただきます。

4月23-24日のお話です。決して「ネタ」の切り売りではありません。

23-24日以外の日も印象に残った写真を1葉程「ハイライト(でもないか・・・)」としてご覧いただこうと思っております。

 

 

<1983年4月23日> *信楽へ

さて、高校の修学旅行の時(昭和48[1973]年)、国鉄の初乗り料金は30円でしたが、今回は前年(昭和57年)に110円から120円になったところでした(☆1)。

国鉄からJR分社は昭和62(1987)年に行われるのですが、国鉄運賃の値上げは、昭和44(1969)年から昭和51年としばらくなかったものの、その後経営状態を反映するように、昭和53(1978),54,56,57年と毎年の恒例行事のようになってしまいます。

チョット、ムッと来ていた私は、草津線・貴生川から信楽までの14.7kmを徒歩で行くことに決めました。

当時中間駅は、写真にお示しします2駅のみで、しかも、貴生川と次の雲井は約10km離れており、雲井・勅旨・信楽と終点方約4kmに3つの駅が固まっておりました。

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<写真1>国鉄貴生川駅、当時は草津線の途中駅、国鉄信楽線の起点、近江鉄道本線の終点でした。

今、信楽高原鐵道と第3セクター化された信楽線も貴生川の次駅、「紫香楽宮跡」までは9.6kmもあり、信楽側に駅が偏っている傾向はあまり変わっていません。

貴生川・雲井両駅の標高は約200m+αといったところですが、両駅間には飯道山があり、丁度両駅の中間付近では信楽線が南東に迂回しています。

ここを直線で突っ切ろうとすると、標高450m前後に線路を敷設せねばならず、約5kmという短距離ながらも、勾配が200m/5000m=40‰程度(福島・米沢間の板谷峠に匹敵)となり、ディーゼル車でも苦しい、では長大トンネルの開削か?と相談がまとまらないうちに、なんとなく、高地を回避する現在の迂回路に決まったのでしょうか?

地図上では、貴生川・雲井両駅間は、山あいの傾斜地で、確かに鉄道駅を持つような大きな町は出来づらそうです。

それはさておき、春とは言っても、気温は北海道より7-8度も高く、結構なアップダウンの丘陵を、5-6日分の着替えをしょって歩くと汗ばんできます。

私のような北海道から出たことのない人間には、この季節のこの気温は少しコタエます。

コートをぬいでショルダーに縛り付けて歩いても、ばさばさして、山風が追い打ちをかけるように音を大きくしているようで大変耳障りです。

「あ~、うっとーしー」・・・

途中、雲井、勅旨(そのままで「天皇の御意志」という意味ですが・・・やはりこの辺は3セク化した時に、「紫香楽宮跡」駅が出来るなど、そういったお土地柄なのでしょうか)と駅の写真をとりましたが、わずかながらの休息にはなりましたが、無人駅でなんとなくさびしく、気分も晴れませんでした。

 

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<写真2>雲井駅です。駅舎は小ぶりながら、木立が駅の前庭を囲うように屹立していて、開業当初は人手があり、丁寧に剪定などしていたのでは?と思わせます。無人化は昭和37年(1962年)でした。

 

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<写真3>勅旨駅です。
待合室は雨風をやっとしのぐ程度で、こちらは開設時から無人駅です。

気分がバテバテになりかけたころ、やっと信楽の町にはいりました。それでも駅までは登り坂が続くようです。

沿道には、タヌキ、タヌキ、タヌキ、タヌキ、タヌキ・・・大は2mを越す大物から小は卓上に載せたくなるようなものまで・・・

「でも、日没以後、ここは歩きたくないな・・・」

型だけ取って、ウワグスリもぬっていないのっぺらぼーのタヌキの集団が陰干しされているのを見ましたが、「これも大量生産か~」となんだかがっかり。

「他をぬく」「他から抜きんでる」と商売の方々にはとりわけ縁起担ぎにもてはやされるタヌキ様ですが、自分も社会人になりましたので、途中で一つ買いました。

お店の方の話ですと、以前のようなリアルな顔立ちのタヌキはかわい気がないとあまり売れくなってきているそうで、可愛く作った焼き物が主流になりつつあると。

あれから30年、貴生川・信楽の両駅は改築されてしまいましたが、タヌキ様の顔は?

 

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<写真4>信楽駅です。
このころ、京都方面に出るバスの便として東海道・石山寺まで帝産グループバスと国鉄バスがありました。
私は国鉄バスを使いましたが、JR分社後暫くたった平成14(2002)年9月30日、残念ながら撤退してしまいました。

 

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<写真5>
このとき購入した我が家のタヌキです。
リアリティーがなく、かわいさばかりですとなにか違和感を感じますが、そう思うのは私だけでしょうか?
身長?18cm。
実は、信楽からは「帝産グループバス」の便しかないと思っていた私は、国鉄バス「石山行き」という方向幕を見たとき「今日はついてる!」と思いました。

また、当時でもすでに珍しくなっていたツーマン・バスでしかも男の車掌さん!!というのがこれまた泣かせました。

 

浜大津駅と瀬田の唐橋へ!!

私は終点直前の石山寺で下車しました。信楽から石山寺までは所要70分くらいだったと思います。

石山寺の境内ですか?そりゃ、はいりますよ!写真も5-6枚写しますし、お守りだって買います。
時間?鋭いですね!!できればそんなことに使いたくありませんよ。

それでは、御面倒でも、この文章の始まりの方をもう一度ご覧ください。

「アチコチから旅費を工面して」とありますでしょ?その「アチコチ」さんたちへのお土産を買っていくわけですよ。

まさか、お土産に「◎◎鉄道◆◆駅入場券¥120です」なんてことできませんので・・・そして尋ねられれば「どこそこ」を廻って、写真を見せながら、△△寺の##門はなかなか見ごたえあって・・・一度ご覧になった方がいいと思います、などと申し上げたりするワケです。

タヌキの話も付け加えたりして・・・あとあとまで結構大変です。

 

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<写真6>石山寺東大門、八脚門入母屋造り。
信楽からのバスはこのあと石山駅まで行って終点でした。
国指定文化財。
伝「1190年、源頼朝の寄進によって建立」(☆2)

 

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<写真7>京阪電鉄・石山坂本線、南側のターミナル、「石山寺駅」です。
二つ北側には国鉄石山駅と連絡通路を持つ「京阪石山駅」があります。この立地は今でも変わりません。

停車中のNo.274は260形の仲間で、製作初年が昭和32(1957)年、といっても明治43(1910)年製の京津電気軌道(合併で京阪へ)30形の主要機器を流用して作られた車でした。

乗降扉は、初期グループは片開きでしたが、本車は両開きに改善?されています。

とはいえ、この段階で、外側はともかく、心臓部のオン歳はすでに57歳、No268-279の後期グループは昭和61(1986)から63年にかけて廃車となっています(☆3)。

 

ところで京都ー大津間には逢坂山という66.7‰(碓氷峠、横川・軽井沢間と全く同レベル)の急勾配が存在します。

当時の京津電気軌道(大正14[1925]年1月、京阪に合併される)は、二重三重のブレーキ、保安システムを搭載した電車でこの勾配を征服しました。

他に同じクラスの勾配を持つ鉄道として、箱根登山鉄道の80‰の勾配が有名ですが、緻密な安全管理の構築でこのルートを運行しております。

一方鉄道省は、当時、まだ蒸気列車で、この急坂を克服できず、東海道本線は一旦南に迂回してこの難所を回避しています。

そして、後年、長大トンネルが開削され、大津・京都がほぼ直線化されると、旧線の一部は奈良線の北端部として再利用されました(☆4)。

すでに90年も前の話ですが、電車運転の実力を改めて認識させられる話題と思われます。

 

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<図1:京津線・石山坂本線路線図>

 

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<図2:石山寺ー瀬田の唐橋ー浜大津ー三井寺付近の略図>

 

 

地図の記憶違いで「瀬田の唐橋」が遠・・・・く・・・・に・・・

<写真7>でも申しました通り、石山寺駅の2ツ北側に「京阪石山駅」があります。(略図<図2:現在大津京を名乗っている駅は平成20(2008)年まで西大津でしたので、訪問時の駅名で地図を作りました>をご覧になりながら文をお読みいただいた方がいいかもしれません)。

「浜大津駅」をじっくり見たい、という思いがある一方で、県庁所在地の「国鉄大津駅」の訪問・撮影もはずせないなー、と悩んでおりました。

石山寺駅から坂本行きに乗れば、自動的に「浜大津」につきます。

でも、そこから大津駅まで移動して・・・という手順よりも、二つ先の「石山」で京阪から国鉄に乗り換えれば、国鉄なら駅二つで大津です。

一方京阪はこまめに止まって、時間がかかりそうです。

ここは、石山で乗り換えて国鉄大津→浜大津→三井寺駅とゆっくり見て廻ろう・・・・と考えていた矢先、車内放送で、「◎橋前です、お後ございませんか?」坂本行き電車は「唐橋前」を出発してしまいました・・・

「・・・・!!??!!あああ<唐橋前・・・>だったのか・・・」

「唐橋前」の駅名票がドンドン後方に小さく流れて行きますが後の祭り。

<石山寺起点ー唐橋前ー京阪石山ー・・・>と続いていたのですが、唐橋前を勝手に三井寺の北側と思いこんで、石山坂本線乗車の前に、再確認を怠り失敗しました。

「ショーガナイないから、大津方面みて、瀬田の唐橋までもどってくるかー」

今のペースで大津方面→唐橋と戻ってくると18:30頃になりそうです。この時期の関西の夕方の日没時刻は想像がつきませんでした。

 

翌日の「近江鉄道」の撮影などのため、その日の「ヤド」はすでに近江八幡市のビジネスホテルを予約してありました。

「明日の余裕時間を最大限使っても[白鬚神社]まで行く時間を捻出できそうもないな・・・」

「白鬚さん」とは縁がないのかもしれん・・・次第にそんな気分になっていくのでした。

ま、気を取り直して、予定通り次の石山で国鉄に乗り換えて、大津に行きましょう!!!

で、大津駅を撮影後浜大津まで行こうと地図を見ると、直線で1.0km、道路に沿うと1.3kmほどのようですが、念のため、路線バスを使いました。

 

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<写真8>国鉄大津駅です。
浜大津の構内配線は、訪問の少し前に、シンプルで明快なものに改善されたと伺っておりましたので、それをまず確認しようと思いました。
ホームは島式1面2線でした。

 

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<図3>

 

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<図4>
昭和56(1981)年以前は昭和21年(1946年)から、石山坂本線直進ルートの外側にターミナル式の「2線3面櫛型ホームがあり、その他に、通過線にも対向式ホームがありました。途中昭和34年に一度配線変更があったものの基本的には昭和21年の配線と大同小異で、京津線ー石山坂本線は、以前から一度戸外に出て改札をしなければならない別駅でしたが、昭和56年に解消されました(☆5)

 

 

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<写真9>浜大津駅です。石山寺行き260形電車。

元々京津線などにいた木造車、800,300,200形から更新車それぞれ350,300,260形が昭和32(1957)年から約10年間に亘って作られました。
ほとんど廃車になっていますが、260形の最終グループから一部の機器を使って次の500形が出来ました(☆3、6)。

また、昭和44(1969)年までここに江若鉄道が乗り入れていました。

 

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<写真10>昭和53(1978)年登場の500形三条行き。

上の260形の最終グループ281-286から作製(昭和53[1978]年)電動機は新品で所謂セミ新車(しかし、「走る・止まる」の心臓部は新品と置きかえられていたので、「新品」と評価してもおかしくはありません。
駆動系は京津線初めての新性能化されましたが、冷房化は見送られました。

 

 


 

三井寺駅から、至近の距離にあった「三井寺下駅」はかつて、浜大津駅に乗り入れていたもう一つの交通機関、江若鉄道の開業時の起点駅でありました。

浜大津まで延長開業したのちも、機関区、車輌工場、車庫などを置くなど、昭和44(1969)年の鉄道部門最終日まで同鉄道一番の基幹駅であり続けました(☆7)。

 

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<写真11>三井寺三重塔(重要文化財)

 

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<写真12>浜大津駅の一つ北側の三井寺駅です。

 

 

本日のメイン・イベント:日没迫る「瀬田の唐橋」を訪ねる

宇治橋、山崎橋と並ぶ日本の三名橋・三古橋の一つであります。

いずれの橋も古代から流失、再建を繰り返していますが、山崎橋のみ豊臣政権下の再建を最後として、そのあとにおこった流失に再建をしておらず、現存しない橋になっています(☆8)。

私がいつ、どこでこの橋のことを知ったのか、そして行ってみたいと思うようになった理由などなど・・・実はよくわからないのです。

ただ、中学3年のころ(修学旅行がある5月頃)には「日本の名橋・瀬田の唐橋」というのは、興味がありました。

ただ、「日本の三名橋」とはしらず、岩国・錦帯橋のような優雅な懸垂橋、あるいは、日光・ 神橋のような特別に大事にされている「歴史的建造物」のようなものを勝手に思い描いていたか、歌川広重の「近江八景」の中の「瀬田の唐橋」(☆9)をみてぜひ行ってみたいと思ったか・・・
おそらく、いままで描いてきたすべてのものが混ざり合ってしまって、偶像のようにすばらしい橋を作り上げていったのでしょう。

橋を見たときは、あまりの近代的姿にびっくりいたしましたし、車の往来もあり、それも相当量であることに二度びっくり。

それでも、なんとなく太鼓橋のような格好の橋に満足し、京阪バスの塗色が当時の道南バス(本社・室蘭)に似ていることに「ニヤリ」とし、「白鬚さんにはもう行くチャンスがないかもしれないけれど、こんなとこで、がまんすっか」と、気持は少し落ち着き、宿泊地・近江八幡に向かいました。

 

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<写真13>「瀬田の唐橋」・・・え?近代的・・・??

 

 

参考

☆1.『戦後昭和史、JR・タクシーなどの初乗り運賃』(戦後昭和史 様)
☆2.『滋賀県・紅葉・11月・COOLPIX8800>石山寺東大門』(高画質壁紙写真集無料壁紙 様)
☆3.私鉄車両めぐり[146] 3 大津線 3-2 現在の車両 3-2-2 260形、3-2-3 350形 3-2-4 500形、澤村達也 氏、「鉄道ピクトリアル」
<特集>京阪電気鉄道,1991年12月、臨時増刊号,vol41,No553,p225-226,鉄道図書刊行会
☆4.「地形図でたどる鉄道史」西日本編、大津~京都、JTBキャンブックス、p58-61、今尾恵介氏、JTB、2000年6月1日
☆5.京阪大津線の80年、高山禮蔵 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>京阪電気鉄道、1991年12月、
臨時増刊号、Vol 41,No 553,p119,鉄道図書刊行会
☆6.私鉄車両めぐり[146] 3 大津線 3-1 過去の車両 3-1-1 300形、澤村達也 氏、「鉄道ピクトリアル」<特集>京阪電気鉄道、
1991年12月、臨時増刊号,vol 41,No 553,p224-225,鉄道図書刊行会
☆7.『三井寺下駅』(Wikipedia)
☆8.『山崎橋』(Wikipedia)
☆9.『近江八景』(びわ湖大津観光協会 様)

 

撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その1) 終了

撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その2) に続く

 

(写真・図・文 / 黒羽 君成)