汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

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撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):前編~梅小路機関区・北野白梅町・奈良線・京阪・宇治線、他

2018/06/10

昭和48年(1973年)10月17日~高校修学旅行~

自由行動日の前夜、「最低でも4-5人のグループで行動するように」と学年の教務主任と担任から熱~いお言葉がありました。

我々、「2人ずつの2チーム」の「4人グループ」は自由行動日の朝、私とG君(鉄道には興味はないけれど、SLは好きだからお前に付き合ってやるといってくれた同級生)、そしてドコゾの温泉に一日浸かってくるとかいう二人組が、宿から300m程一緒に歩いた直後、そこで、お互い声を出さずに、手だけをフリフリしてわかれました。

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梅小路機関車館

まずはじめは、前年に開設された梅小路機関車館に参りました。

「機関車館」は鉄道100年を記念して、昭和47(1972)年10月10日、現役機関区であった梅小路機関区の「扇状庫」を利用して、全国から、歴史的、産業的に意義ある車種が集められ開館しました。

私の目当ては、いつの間にやら「函館本線・小樽ー長万部(通称山線)」から忽然と姿を消した「スワロー・エンゼル」こと「C62 2」、日本製唯一の3シリンダ蒸気機関車「C53」、そして、戦争の落とし子?ともいうべき「B20」でありました。

モチロン、「なめくじ」といわれるD51のトップナンバー「D51 1」など他見どころは沢山ありました。

一通り目的のものを見終わったところで、G君と「修学旅行なので、イチオウ勉強らしいこともしたそぶりも見せようか」ということに 話がなんとなくまとまってしまい、機関車館を後に「市電」で金閣寺(拝観料:50円)に移動。

<なんとなく光が鈍い金箔にがっかり>以下→

龍安寺(同100円)<石庭は実物の方がはるかに見事です>→

仁和寺(同:150円)<広大な敷地に圧倒されます。

吉田兼好が「方丈記」で「仁和寺にある法師ありけり・・・」の書き出しで散々失敗談など書いてこき下ろしておりましたので、「そんな程度の寺なのかなー」と思っておりました。

ところが、最盛期には敷地面積約四里四方の、京都で最も有力な寺院のひとつであり、兼好法師は、「そんな立派な大寺院でも、時にへまをやる御坊がいるのも御愛嬌だね」くらいの意味で書いていたというのですね!

知らないこととはいえ、自分の無知に恥じ入るばかりです。→ここから北野白梅町に到達したようです。

この間、コーラを飲んでいて「50円」とあるのですが、残念ながら「瓶、250ml缶、350ml缶」の種類が書いていません。だめですね~。
それから「市電料金」は50円でした。

 

20130115-1
<図1>梅小路機関車館入場券、100円です!!

 

20130115-2
<図2>梅小路機関車館パンフレット

 

20130115-3
<図3>梅小路機関車館パンフ<図2>の内容(二つ折)です

 

C62 2
<写真1>「スワロー・エンゼル」こと「C62 2」とG君です

 

「C62の一族」は北海道に渡るに当たり先台車の板ばねを16から17枚に増やすことにより、オリジナルの軸重16.08ton から14.96tonに軽減(☆1)、函館本線の「乙線区にして15tonという軸重制限がある長万部・小樽間(通称山線)への入線試験に、見事合格。
早速急行「まりも」「大雪」、そして間合い運用でローカル列車1本を受け持ちました。

◆C62 2経歴◆
改造元車輌:D52 455
昭和23(1948)年5月20日落成
昭和23年6月14日糸崎機関区配属
昭和32(1957)年2月7日小樽築港機関区に転属
昭和47(1972)年10月 梅小路機関車館に動態保存となる
(☆2)

 

C53 45
<写真2>C53 45:国産唯一の3シリンダ蒸気機関車

(☆3) 大正15(1926)年、豪雨により山陽本線の築堤が崩壊。
そこに下り特急1列車(のちの「富士」)が突っ込み死傷者多数という大惨事となりました。

人身事故が大きくなってしまった原因の一つとして客車が木造で、幕板が細かい短冊形をしており、それが体に刺さるなどしてけが人をますますふやしたのでは?と推測されました。

鉄道省では、客車の鋼製化を検討しましたが、重量で20%増との試算が出、今までのC51では牽引力が不足、かといって、当時の技術では「2シリンダSL」での高速列車の牽引は不可能との結論に至りました。

そこで、アメリカン・ロコモティブから3シリンダSLを実験機として輸入、8200形(のちC52)として制式化とする一方で、国産の3シリンダSLの開発・製作に取り組み、昭和3(1928)年、C53形が完成。

東海道・山陽道の優等列車の牽引に当てられました。のち、1輌のみ、C53 43が流線型改造を受けました。

 

 

B20 10
<写真3>B20 10(昭和16[1941]年製)と私(昭和31[1956]年製)です。

(☆4)
こういうのを戦争の落とし子というのでしょうか?

昭和16(1941)年から駅構内の小入れ替えなどに使用すべく、「低品質、低シリンダ圧」の主動輪ニ軸(B)の20ton機(ゆえにB20)を15輌製作しました。

貫通ブレーキを装備していないことが致命的で本線業務に就くことはできず、戦後は、国鉄内では早々に整理の対象にされ、鹿児島と小樽築港機関区の各1台を残して、主に地方の私鉄に分散譲渡されました。

 

京福電気鉄道

さて、京福電気鉄道、嵐山本線の帷子の辻から分岐している北野支線・妙心寺から乗車し北野白梅町に至りました。
(☆5)
北野支線・北野ー白梅町間0.4kmを昭和33(1958)年に京都市電に譲渡、元々の白梅町駅を今の名前に改めました。
現駅舎は櫛形2線3面構造です。
市電に譲渡した部分は昭和51(1976)年に廃止となっております。

京福電気鉄道・嵐山線、北野白梅町駅とモボ300型
<写真4>京福電気鉄道・嵐山線、北野白梅町駅とモボ300型

(☆6)モボ300は昭和46年(1971年)嵐山線20年ぶりの新車(この後昭和53(1978)年のモボ700まで新車は出ません)です。
制御器は在庫品で半分だけ新車でした。

 


 

次は自由行動での、梅小路機関区と並んでの目玉であります、宇治、平等院鳳凰堂に向かいました。

御存知の通り、京都・宇治間交通には、国鉄と京阪という二つの手段があります。

せっかく来たのですから、「撮り鉄」としては往復とも同じ交通手段を使っていたのでは能がありません。G君と相談して、行き・国鉄、帰り・京阪としました。

 

国鉄・宇治駅(奈良線)
<写真5>国鉄・宇治駅(奈良線)

当時の奈良線は単線・非電化でキハ30・35の天下でした。
京都・宇治間は60円(☆7初乗り料金は30円のころ)。
(☆7)

 

平等院鳳凰堂
<写真6>平等院鳳凰堂

雨上がり、逆光の悪条件下で強引に撮影。10円硬貨の模様としてあまりにも有名な建立物であります。

元々藤原道長が関白以後、別荘に建てたもので、その死後(1027年)、頼道が寺院に作り替えました。

中堂(正面の本堂)の存在意義から以前は阿弥陀堂と呼ばれていましたが、両翼廊、尾廊などすべての形をとらえ、江戸時代の頃より「鳳凰堂」の名が定着したそうです。

なお中堂以外の構造物は装飾品ともいうべきで、思想的意義はありません。

また、「鳳凰」という鳥は瑞兆の生物ですが、「鳳は雄」「凰は雌」であることは皆様ご存知の通りであります(☆8-10)。

 

京阪宇治駅(京阪宇治線)
<写真7>京阪宇治駅(京阪宇治線)

京阪宇治・京阪七条間は80円
国鉄:宇治ー(奈良線)-京都→14.7km
京阪:京阪宇治ー(宇治線)-中書島ー(京阪本線)-京阪七条→7.6km+7.3km=14.9km

ちょっとした距離の違いなんですけどね~。京阪のほうが運賃が高いとは・・・まだ少しは国鉄に余裕があったということでしょうか?

 

京阪宇治駅構内、1300型の各駅停車京阪三条行き
<写真8>京阪宇治駅構内、1300型の各駅停車京阪三条行き
(☆11) 平成元(1989)年から宇治線列車は線内普通が中心となりました。
(☆12) 1300型の一部の車両(1312など)は昭和26.7-31.3まで特急仕業に就くこともありました。

「夕食まで(18:00頃)に戻ってくる」というのが約束の自由行動日でしたが、つい面白くて京阪七条に着いたのが18:30頃。

二人で「腹減ったな。怒られっけど、蕎麦でも食ってくべ」と国鉄・京都駅向かいの「昔ながらの駅前食堂風の店」にはいって、「かしわそば」を二人揃って注文しましたが、出汁がトリガラでとってありどこまでも澄んでいて、それでいてこくがあり、当時「北海道にはまだ上陸していない具材にマッチしてかつ上品な味付け」に私たちは大いに盛り上がり、めでたく自由行動全行程が終了したのでありました。

 

ところで、・・・実は・・・私には以前から、胸の内に秘めたるインボーがありまして、発端は中学時代の修学旅行の時でした。

中学の修学旅行コース(浅虫温泉ー弘前を結んだ線より北側+函館)にややあきたらなかった私は、日本地図帳をみて、「もっといーとこないかなー」と日々紙上の名所巡りをしておりました。

!!「日本三古橋・瀬田の唐橋」「近江の宮島・白鬚神社」!!
・・・「なんじゃ、こりゃ・・・二つとも滋賀じゃないか!いつか絶対行ってやる!!」。

残念ながらその時はすでに江若鉄道の廃止された後でしたので、かの有名な「防波堤沿いに走る江若鉄道車輌と琵琶湖の鳥居」の組み合わせの写真は撮れなくなっていましたが、鉄道の遺構探し、夕日に輝く湖面に映る鳥居、そして太古からの橋梁・・・考えただけでもヨダレ・・・失礼・・・一日で見て廻れそうですし、素敵な記録がたくさん残せそうです・・・・

この続きは次回以降ご紹介申し上げます。

 

写真<1-8>について
撮影日:昭和48(1973)年10月17日

撮影条件:
カメラ:キャノネットQL17(キャノン)
写真1:f:8 SS:1/250
2:f:11 SS:1/250
3:f:11 SS:1/250
4:f:5.6 SS:1/63
5:f:11 SS:1/250
6:f:16 SS:1/250
7:f:11 SS:1/250
8:f:8 SS:1/125
(SS:シャッター・スピード)

【参考資料まとめ】

☆1 Wikipedia:『国鉄C62形蒸気機関車
☆2 『Steam Locomotive C62 Museum』様、上記サイト内のページ『SL蒸気機関車C62全車両の経歴>スワローエンゼル』
☆3 Wikipedia:『国鉄C53形蒸気機関車
☆4 Wikipedia:『国鉄B20形蒸気機関車
☆5 『関西地方のローカル私鉄 現況2 京福電気鉄道 松原淳氏』(鉄道ピクトリアル、「<特集>関西地区のローカル私鉄」、1985年3月、臨時増刊号,Vol 445,p101 鉄道図書刊行会)
☆6 『関西地方のローカル私鉄 現況2 京福電気鉄道 松原淳氏』(鉄道ピクトリアル、「 <特集>関西地区のローカル私鉄」、1985年3月、臨時増刊号,vol445,p103 鉄道図書刊行会)
☆7 『戦後昭和史、JR・タクシーなどの初乗り運賃』(戦後昭和史)様
☆8 『平等院鳳凰堂 中堂』(文化遺産オンライン)様、
☆9 『国宝の旅 ― 日本の美 日本のこころ (講談社MOOK) 』清水満朗 編,講談社,2001年
☆10 『図説 日本建築のみかた 』 宮元健次 著,学芸出版社,2001年3月15日
☆11 『輸送と運転~近年の変遷と現状 2京阪線、2-5宇治線、宮城和光氏』(鉄道ピクトリアル、「 <特集>京阪電気鉄道」、1991年12月、臨時増刊号、vol.553 ,P21、鉄道図書刊行会)
☆12 『京阪電車の歴史を飾った車両たち  5-3-6特急用に通勤用に大忙し、沖中忠順氏』(鉄道ピクトリアル、「<特集>京阪電気鉄道」、1991年12月、臨時増刊号、vol.553, P179、鉄道図書刊行会)

 

撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):前編 終了

撮り鉄気取りが行く(Ⅲ):中編(その1)に続く

 

(図・写真・文 /  黒羽 君成)