<祝・学園都市線電化開業>-高架工事序盤から「733系、735系電車」を見ちゃったところまで
2018/06/10
昭和58年(1983年)、私は当時社会人1年生になったばかりでした。
大変な晴天に恵まれた折角のGWにもかかわらず、金もなし行くあてもなしで、「チカバの高架工事でも見に行っかー」と朝寝もほどほどにアパートから徒歩20分程の桑園駅まで出かけました。
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地平時代の桑園駅
地平時代の桑園駅は、今と似かよった2面4線の構内配線で、札沼線(今は「学園都市線」の方が通りが良いでしょうね)と函館線が1面ずつ使っておりました。
すでに高架の基礎ができつつありましたが、スペースの関係でしょう、基礎部分が函館線用上り本線をふさいでおりました。
<写真1>跨線橋から札幌方を望む。
中央に見えているのが、函館線ホーム。
右の基礎工事の土台で上り本線がふさがってしまいました。
当然、やむなく、構内配線は単式1線+島式2線として使わざるを得ず、
本来札沼線用下り本線が、中線に化けて札沼・函館線共用となっていました。
<写真2>
本来の札沼線、下り本線に停車中の711系小樽行き各駅停車。
同線が急遽、函館・札沼線共用の中線となりました。
711系は昭和42(1967)年10月に小樽・滝川間電化開業で導入されました。
これはオリジナル塗装車です。
<写真1,2>桑園駅にて、昭和58(1983).5.4.撮影
その頃の桑園駅と言えば、周囲は競馬場以外なにもないと言っていいほどで、私の職場、アパートの最寄りの駅でしたが、当時この駅で、競馬開催日以外の日には客待ちタクシーは1台も止まっていませんでした。
<写真3>桑園駅舎、昭和55(1980).7.26撮影
<写真1,2>より少し前の桑園駅。駅南西方から札幌方を写す。
ところが、函館線の札幌ー琴似間の連続立体交差工事が終了[平成2(1990)年]すると、あたりは騒然としてきます。
何と言っても駅自体がJR北海道本社社屋などと同居のような形になったので、先代駅の何倍もの大きさになりました。
そして本社お膝元だからでしょうか、平成10(1998)年11月21日、テストケースではありましたが、JR北海道では当駅に初めて自動改札装置が導入されました。
さらに、平成7(1995)年、手狭になった市立病院が札幌の都心部から桑園駅の至近距離に移転してきたのを皮切りに、商業施設のイオンが駅真ん前に平成14(2002)年オープンしました。
以来、駅周辺にはタクシーがワンサカ止まるようになり、小型のバスターミナルのような大きなバスベイまでできて、当駅下車後の交通機関には全く困らなくなりました。
<写真4>高架オープンとなった桑園駅
平成19(2007).5.10撮影、(撮影者:つちぶた)
外見もさることながら、高架軌道もなかなか「骨太」な設計でしたのでしょうか。
高速で回送列車が通過しても「おっかな~い」位揺れたことはありません。
<絵;色鉛筆+修正液>高架後の桑園駅。
札幌運転所に向かう回送列車。731系3連。平成23(2011).9.10,21:35頃
学園都市線用電車
その一方で、新兵器の準備は着々と進みます。
桑園駅からの架線柱の施工はもとより、昨、平成23年から学園都市線用電車と噂されていた735系電車の試運転でありました。
私の職場がある美唄を行き来していたらしく、運よく何度かお目にかかりました。
試運転は、始めのころは先輩731系電車の後ろにつき従うように走ってまいりましたが、暫くして、735系3連のみでやってくるようになりました。
車体側面は、721,731系のような色つき帯も無く、「殺風景な弁当箱」のようないでたちでありました。
<写真5>735系3連のみの試運転。美唄3番ホームに停車中。
(平成23(2011).8.23.撮影)
また今年になりまして733系の甲種回送にお目にかかりました。
<写真6>最後尾を保護シートで覆って札幌運転所に向かう甲種回送の733系。手稲駅を通過中,
(平成24(2012).4.25撮影)
※「新十津川駅に行ってみませんか・前編」の再掲写真です。
学園都市線は、6月から列車の70%が電車化、10月には100%電車に置き換わって計画の行程終了となります。
朝夕ラッシュは6連の電車が走ります。50系51型改造の141,142,143型ディーゼル車の見る機会はドンドン減っていくでしょう。
これから、141系の札幌駅、桑園駅に並んだ姿は貴重な映像になると思います。
141系は今ワンマン工事真っ最中で、どこぞに旅立つ準備中です。
<写真7>
札幌駅で顔を並べた石狩当別からの到着便(左)とあいの里公園行き。
札幌駅。(平成23(2011).6.15.撮影)
また733と735系は函館・千歳線でも使われるらしく711系電車の運命はどうなってしまうのでしょう。
<写真8>
札幌近郊には朝夕しか顔を出さなくなった711系電車。
滝川発岩見沢行きの各駅停車(16:05美唄発)が美唄駅1番ホームに進入。
(平成23(2011).7.26.撮影)
いろいろと話題を提供してくれている電化営業直前の学園都市線ですが、「八軒・あいの里教育大(札幌から13.6km)」間は複線化されていますが、起点方3駅間、札幌ー桑園ー八軒(同3.8km)が単線のままです。
札幌・桑園間は、札幌駅西方の電留線を一本潰して平成6(1994)年11月に3線区間とし、函館・札沼線分離を行い、線路容量を増やしました。
しかしターミナル駅側が単線であっては、いずれ線路容量も不足してくるでしょう(※)。
そういう意味では、学園都市線を今以上に発展させられかどうかは、今スタート地点に立ったばかりなのかもしれません。
(※)ターミナル近くが単線である(あった)例。
1:京阪電鉄交野線の場合:
昭和4(1929)年、信貴生駒電鉄が枚方市(当時は枚方東口)-私市間6.9km開業。
複線化を昭和46年(1971年)から始め、昭和49(1974)年、両端の森信号所ー私市(0.8km)、枚方市 - 宮之阪(1.0km)間を除いて複線化されました。
しかし、両区間の複線化(交野線の全線複線化)は平成4(1992)年の高架工事の竣工後まで待たねばならなりませんでした。
2:新京成電鉄線の場合:
26.5kmの路線のうち、複線化を昭和36(1961)年から開始し、京成津田沼ー新津田沼(0.8km)以外の複線化は昭和50(1975)年に終了しましたが、先の区間は未だ単線で残存。朝ラッシュ時は京成津田沼 - 新津田沼間が9分毎で、他の区間が4分半毎と本数が半減します。
3-1:名鉄岐阜駅の場合
名古屋本線ホームの先のJR東海道本線と立体交差している部分は名古屋本線で唯一の単線になっており、 ダイヤ編成時の大きな障害になっています。
単線部分は1997年まで地平の東海道本線を名古屋本線が跨いでいた名残りで(実際は戦前複線だったものが、空襲後単線のみで復旧、 そのままになってしまいました)、下り線では単線部分の手前で岐阜行き列車が岐阜発の列車を待っている姿をたびたび目にします。
なおこの単線部分には第2出発信号機が設置され、名古屋本線の上り方向へは1分間隔で発車できるようになっているそうですが、 この単線区間が解消される計画などは現時点では無いようです。
3-2:名鉄豊橋駅の場合:
伊奈ー豊橋間に平井信号所があります。
飯田線が社線時代(豊川鉄道)に、鉄道省豊橋に単線で乗りいれていた所に、 愛知電気鉄道が平井(信)-豊橋間(3.8km)に腹付線増しました。
始めはそれぞれの単線を往復に使っていたようですが、 途中から複線を国鉄と名古屋鉄道で分配して使うようになりました。
しかし、伊奈ー平井信号所ー豊橋間は1時間6本以内の運転に制限されており、 普通電車は伊奈で打ち切り、豊橋には優等列車のみの入線となっております。
伊奈の一番列車回数が少ない時は、急行が1時間2本と言う時間帯があります。
文・絵・写真1~8/黒羽 君成
写真4/つちぶた