【江差線廃止問題考察 ③-1】 江差線の維持あるいは再生について・・・いまさらですがこんな方法があったのでは?
2018/06/10
【挑戦その1】「函館市電の函館駅前または市役所前あたりまで、JR車輌が乗り入れる」 というのはいかがなものでしょう?
江差線存続協議会の「第3セクター化」というお考えは熟慮の末の結論だったと思われますが、「3セク化」だけでは、利用者にサービス面での目新しさはなく、従って経営母体が変わったという印象だけでは、集客力、財政的保護救済、いずれも成功例はありません。特に過疎地において顕著と思われます。
過去の地元の方々には大変だったろうな、と思われた事例を2つほどお示ししたいと思います。
いずれも「鉄道」という形を残しての3セク化です。
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過去の事例
*輸送断面から、バスで十分と思われたのに、ほかのエリアの運輸会社から「うちに鉄道をやらせてくれないか」と、ちょっかいを出されて、自分たちの牙城があやしくなるかと思って始めたのか、国鉄O線をひきうけてしまったS交通さん・・・・・・交付金切れまでの10年間鉄道営業を行い、結局バス転換・・・鉄道を動かしたことのないS交通さんの経験不足かどうか、私はコメント出来る立場ではありませんが、 グランドデザインの欠如といわれても仕方がありませんでしょうね。
・・・計ったように丁度10年だけ鉄道営業をして、やっぱり財政的に厳しいのでやめます・・・では地元の方々は納得されますか?
・・・鉄道事業では元が取れないことはわかっていたはずで、そこにあえての鉄道事業 挑戦という意思表示をおもちでお始めになったことでしたら、地元の方々は今少し長い期間鉄道事業で粘っていただきたかったと思いますよ。
特に、冬場の交通障害など考えますと、バスだけですと、学生さんには厳しかったのではないですか?区間列車も増えていませんでしたね。
交換設備がない?確かに!!!でも朝夕くらい、近隣の通勤・通学の皆さんに区間列車をサービスしてもよかったのでは?
交換駅なんか不要です。
[A駅]←a列車→[B駅]←b列車→[C駅]・・・不要な個所だけ区間便をぬけばいいのですから・・・
たぶんこんなこと、シロートの私に言われるまでもなくわかっておいででしたのでしょう。
要は走らせれば走らせるほど、燃料費で赤字がかさむ状態だったと思われます。
各地の鉄道・廃止・復活例
*七尾線・能登線のほとんどが3セクの「のと鉄道」に移管。
一時は成功例かに 思えましたが、予想以上の過疎化の進展に七尾線の一部、能登線の全線を廃止。
これは、のと鉄道さんの責任ではないでしょう。
*最近では、天災被害が甚大で廃業する鉄道、廃業・存続の岐路に立つ鉄道が増えているようですが、JRですと、よほど酷くない限りは復活していますね。やはり「国鉄だなー」とおもいます。
☆国鉄からの唯一の3セク化の成功例が、国鉄・甘木線→甘木鉄道と変換した時に、西鉄連絡用駅も作りました。
当時は国鉄より西鉄のほうがはるかに頻繁運転でしたので、甘木からの客は西鉄へどんどんシフト、甘木鉄道さんは完全によみがえりました。
以上のことから、3セク化に当たっては何か本線との接続が大変良くなり、近隣の一番大きい都邑まで出るのに所要時間が大幅短縮された、頻繁運転開始(例えば、遠州鉄道さんの12分毎、廃線になりましたが加越能鉄道さんの廃業前まで1日29往復(≒3往復/hr)といった頻繁運転、重要他線区への乗り入れの開始で拠点都市まで乗り換え不要になった、速達列車が増えた(以前は小駅の乗車機会が減ると嫌われましたが、現在は、速達列車が減ることにより基幹駅から目的地までの時間がかかってしまい、沿線一、二を争う駅からの乗降客がへり→輸送人・キロの減少→列車の連結輌数の減少・・・といった却って沈滞化が進むといわれはじめています。
確かに上に書いたことの何かをするには、金銭的、時間的、努力と社内の人心の掌握に相当な労力が必要そうです。
<図4・時刻改正>
<図5・ダイヤ>
図4はヘタクソですが、イチオウ、頻回運転の足がかりのような時刻表を、作ってみました。
Cを大きな都市駅、Aを衛星都市駅に想定しています。
30分毎の各駅停車を→ A駅発快速x1、区間快速x1、各停x1にしてみます。
区間快速は中間のB駅で各停に接続、快速はA駅始発の各停をB駅で退避、緩急結合ダイヤとしました。
<図5>のようにダイヤグラムを作ってみても3-4箇所の駅に交換設備新設が必要になってくることが分かりました。
―ケッコウ金かかりますね!
これでもやっと大都市側は、各停30分毎から、快速x1、区快x1、各停x1、途中駅どまりの各停x1と、優等列車が2本入りました。
A,B駅で、C駅方向への乗車機会はそれぞれ1、2回増やしました。
またA-B間の小駅では相変わらず1時間に2回の乗車機会は変わりませんが、B駅で快速に乗り換えれば5分C駅に早く着くことが出来ます。
これは単なる一例で、地元の方々が何か一つでも国鉄時代より「得をした、進歩した、形になる努力をしている等々」喜んで頂かないことには鉄道の存続は難しいでしょう。
そうでなければ、第3セクター化とは国鉄あるいはJRの名前だけが変わっただけにすぎなくなってしまいます。
函館市電・函館駅前、または市役所前あたりまでJR車輌乗り入れプラン
では、実際に江差線の生き残りにはどのようなことができたのか考えてみたのが、表題の「挑戦その1」「函館市電の函館駅前または市役所前あたりまで、JR車輌が乗り入れる」であります。
*下り列車:函館ー木古内ー江差・・・は現状と同じですが、
*上り列車:江差ー木古内ー五稜郭ー函館駅前 または魚市場通まで乗り入れ
ゴシック部分は「五稜郭・ガス会社前、ガス会社前・函館駅前」と2回に分けて業績不振で昭和53(1978)年、平成5(1993)年に廃線になった路線敷を再利用してLRT型車両として復活の目はなかったのかな、と思います。
ただ、五稜郭側は廃止から25年経っており、私も現状を見に行ったわけではありませんので、果たしてうまくいっていたかどうかはなはだ疑問ではあります。
場合によっては、江差行きも函館駅前始発でいいのかもしれません。
◎ただちょっと残念だったなーと思いますのは、「新幹線・函館駅」が一旦、在来線・函館駅に決まりかかったのち「在来線・渡島大野駅」に逃げて行ってしまいました。
環境問題と、航空機のエネルギー燃費・効率の悪さとでもいうのでしょーか、新幹線はやはり、スイッチバックを強いられましょうが、JR函館駅乗り入れが正解(JR函館ー新幹線函館の交通アクセスはかなり混みこみになりそうです)と思います。
そして航空機輸送が不利というところまで追い込んでこそ、鉄道復権の兆しが見える可能性も出てきやすくなるのではないかと思います。
また、不思議な話ですが、「北海道開発費予算」というものがあるのですが、こいつが道新幹線の調査段階から今にいたるまで「1円」も使われたことはありません。
特に文献・資料をお示しするまでもなく、「道開発費は新幹線沿線住民だけのものではない」というのが、新幹線敷設地域から離れてお住まいの議員さんなどのご意見のようで、時々地元新聞に載りますが、同じ日の新聞などそのようなことが書かれている一方で違う「面」では「北海道新幹線は道民の悲願」などと書かれた記事が、平気で 掲載されていたりします。
最近の道開発費の年額は約8000億で、このうち数%でも使われていたら、もう北海道新幹線は出来たといわれています。
なんだか話が、ずれていっていますが、もし本当にそうだったら、「江差線はこんなに深刻になる前に、本州からの観光客を取り込んで復活していたかもしれません。」しかも、在来線・函館駅で新幹線客が直接江差行きLRTに乗り込む姿を想像するとたのしいですねー。
今起こっていることの責任が、マスメディアにあるというつもりは全くありません。
ただ「道民の悲願ための工事費」に「沿線住民だけの利益」ときめつけて、「道開発費」を使えなくしちゃったというのは・・・・・悲しいお話ですね・・・
<図6・函館市電>
JR車は軌間1067mm、函館市電は同1372mmで江差線車輌が函館駅前以南に行くためには3線区間にしなければなりません。
本当はここで、「お前の言うLRTはどんなものを考えているんだ」・・・と話が進むはずですが・・・・③ー1はここでおしまいです。
実は(というほど大げさではありません)③ー2では「挑戦その2」「吉堀ー神明間に長大トンネルをほったら」というお話の予定ですが、サミット越えに、どんな車輌を使ったら函館・江差間の所要時間を短縮時間が可能かを含めまとめてお話させていただきます。
(図・文 / 黒羽 君成)