汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

鉄道全般・出来事

立野スイッチバック、昭和51年(1976)の九州旅行~下り「急行火の山3号別府行」の車窓から

2018/06/10

昭和51年(1976年)、この年、めでたく?一浪してシガナイ大学にかろうじて入学を果たした私は、それでも両親から、「国内で4-5日の日程ならどこか旅行に行ってきていい」といわれ、はしゃいでおりました。

単独行かと思いきや!結局、オヤジがフロクでついてくることになり、かたや、ビンボーショーの母は、家のことが心配で留守番をすることになりました。

「オミヤゲ買ってこないとショーチしないよ!!」と。

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昭和51年(1976年)
3月20日  大宰府、福岡市内
21日  熊本市内
22日  (立野)-宮崎周辺
23日  帰路
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以上のような旅程で廻り、ここにご紹介しますのは、そのヒトコマになります。

折角だからというので、豊肥本線は座席指定車で参りました。

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昭和51年(1976年)豊肥本線

当時のメモによりますと、「火の山3号」の編成は下記のとおりです。

④キハ58③キハ65②キロ28①キハ58 →別府

私たちは1号車の普通指定席の進行方向に向かって左側の席でした。

「なぁ~んだ」と少しがっかりしましたが、これが、「立野」で大当たり・・・
20130323-1
<写真1>
立野駅に停車中の「火の山3号」から、下ってくる離合列車を写しました。

写真左手、やや背の高い立木を挟んで、青い頭のキャブのトレーラの反対側に単行車?がいるのですが・・・室内反射が少し写りこんでしまいました。

20130323-2
<写真2>
<写真1>の拡大です。

トレーラと、単行車?

よくみると、木陰に気動車1台従えて2連にも見えましょうか・・・?

立野で離合するスイッチバック途中の列車です。

 

20130323-3
<写真3>
当日の急行料金400円、普通座席指定料金200円!!


 

立野につきますと、上り列車待ち合わせのため10分ほど停車いたします・・・との車内放送。

山の「ていしゃば(この表現がぴったりと思いました)」の安全管理も大変そうだと思いました。

ホームでは立ち売りで「奥羽線・峠駅」のような饅頭が売られていました。

う~ン、「いずこもワンパターン」・・・でもこういった菓子類は、きっと「鉄道開通以前の茶屋」の遺産が駅頭に持ち込まれたものなのでしょう・・・

当地にはこの後、友人と翌年、新婚旅行に昭和63(1988)年と2回訪れましたが、立ち売りさんはずーと健在で、嬉しい限りでありました。

しかし、残念ながら、昭和63年には交換列車はなく、また、昭和59(1979)年にはグリーン車が編成から外れており、同時に3輌連結に減車(☆1)、昭和60年(1985年)からは指定席車にアコモデーション改善車として、リクライニング座席(☆1、2)が導入されましたが(キハ58-5000番台)、窓とシートピッチがあっていませんでした。

※昭和63年訪問時の編成

③キハ58②キハ65①キハ58-5000 →別府

この時も、フンパツしてリクライニング指定席の1号車に乗りました。

 


 

ところで、キハ65形(☆3)は昭和44(1969)年製造初年の急行用ディーゼル車であります。

世の中も「普通座席車にエアコンを」という時代になりつつあった昭和40年代中盤、それまでのキハ58系列では2台エンジンで床下に冷房装置を積み込む余裕がないため、大出力エンジン車の出現が急がれておりました。

急行車も特急車(キハ82→181)も180PSx2から500PSx1という大出力エンジン車を得ました。

特急動車の場合は動力室のスペースが大きく取ってあり、冷房電源には元々そう困っていませんでしたが、急行用動車の場合、冷房機器を置ける場所といえば、床下くらいなものでしたので、「2台エンジン車」が編成中に多数入った列車では、冷房装置を付けることによって、「1台エンジン車」が増えますので、所要時間が延長してしまうという深刻な問題が待っていました。

実際、それまで山岳路線の急行車は「キロ」まで2エンジン化(☆2)した場合もありましたが、やはり、車内環境が重視され1エンジン化+冷房搭載となり、馬力低下で所要時間が延長した列車もあったようです。

キハ65に搭載された冷房システムで3台分の冷房環境をカバーできるというもので、本車はどこでもひっぱりだこで、しかし、結局全国に行きわたる前に、特急時代が来てしまい、絶対数が足りないままで生産が打ち切られてしまいました。

私の個人的感想を申しますと、やはり、車両内に「トイレ」はほしかったなー、ということと、臨時列車でいいですから北海道で営業をさせてみたかったなー(函館線・山線か石北線)と思います。

 

オマケ

下記の表に、その後の急行「火の山」の発展的解消の流れと、各列車の停車駅をまとめました。
(  )は一部の列車のみ停車。

急行「火の山」→特急「あそ(※1)」 →「くまがわ」系統と統一、「九州縦断特急(☆4、5)」として再出発(※2)

※1: 特急「あそ」 [平成(1992)年7月15日、特急格上げ(☆1、4、5)]
※2: 「九州縦断特急(☆4、5)」として再出発 [平成16年(2004年)3月13日]

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◇急行「火の山」停車駅(☆6)
別府駅 - 大分駅 - (犬飼駅) - 三重町駅 - (緒方駅) - 豊後竹田駅 - 宮地駅 - 阿蘇駅 - (赤水駅) - 立野駅 - ( 肥後大津駅) - 水前寺駅 - 熊本駅

◇特急「あそ」停車駅、所要時間:約2時間50分、キハ185x3 - JR四国からキハ185を購入
別府駅 - 大分駅 - 中判田駅 - 三重町駅 - 緒方駅 - - 豊後荻駅 - 宮地駅 - 阿蘇駅 - 赤水駅 - 立野駅 - 肥後大津駅 - 武蔵塚駅 - 水前寺駅 - 熊本駅

◇九州横断特急停車駅:所要時間:3時間1-5分、キハ185x2 - 多客期以外は2連の「ワンマン特急」
別府駅 - 大分駅 - 中判田駅 - 三重町駅 - 緒方駅 - 豊後竹田駅 - 豊後荻駅 - 宮地駅 - 阿蘇駅 - 赤水駅 - 立野駅 - 肥後大津駅 - 光の森駅 - 武蔵塚駅 - 水前寺駅 - 新水前寺駅 - 熊本駅

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何より、最近毎年のように天災にあい、奇跡的復活を遂げている豊肥本線にエールを送りたくて、これからは災害が起こらぬようにと祈念する思いで突然九州旅行の思い出を書いてみたくなりました。

 

【参考資料】

☆1 「急行火の山」(ARC資料館 様)
☆2 「国鉄キハ58系気動車」:Wikipedia
製造初年 昭和36(1961)年
改造・更新 国鉄時代 キハ28 5000番台 キロ28、サロ481の廃車発生品でのリクライニング化。
九州地区で7輌が改造されました。
☆3 「国鉄キハ65系気動車」:Wikipedia
☆4 「九州横断特急」:Wikipedia
☆5 「ノスタルジック・トレイン/九州中部横断特急 キハ185系「あそ3号」前方展望 豊肥本線~日豊本線 熊本⇒大分⇒別府 [DVD]
アネック 2012/11/23
☆6 「あの時の発車時刻表[熊本駅豊肥本線1976年4月」(baycityliner funclub 様)


 

掲載写真撮影日:<写真1-3>いずれも昭和51年(1976年)3月22日

 

(写真・表・文 / 黒羽 君成)