汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

廃線 私鉄・第三セクター

「十勝鉄道」様、屋号は永久保存でお願い申し上げます。

2018/06/10

十勝鉄道の歴史

遂にくるべきものが来てしまったと言う気持ちです。5月24日、地元・北海道新聞朝刊に、「十勝鉄道が鉄道事業から今月末で撤退」という記事が載っておりました。

十勝鉄道は、甜菜糖が寒冷地で栽培できる貴重な農作物として、北海道の広大な地に、農地、工場、積み出し販路(鉄道)を一気に作り上げました。

丁度、第一次大戦[大正3年(1914年)-大正7年(1918年)]後、砂糖価格が高騰したことも、起業とその後の発展に大きなプラスとなりました。

後の起点駅、帯広大通駅は、ドイツ人の個人の邸宅を改造した建築物ですが、鉄道業+αのセンスを感じさせる企業でした。

北海道の製糖会社は、北海道製糖[大正8年(1919年)設立、昭和22年(1947年)、2代目日本甜菜糖<※1>に改称]を中心にして、その支配下に、十勝清水を中心とした「河西鉄道」と帯広を中心とした「十勝鉄道」とがあり、各々、大正14年(1925年)、大正9年(1920年)に開業しております。

戦後両者は体質強化を狙って昭和21年(1946年)に合併します。

合併以後元・十勝鉄道、河西鉄道は、各々十勝鉄道帯広部線、同清水部線を廃止時まで名乗りました。

この時が、新生・十勝鉄道の戦後の最盛期だったと思います。

 

一本の線でつながったという条件での日本一長い営業キロの軽便線は、 静岡鉄道駿遠線(64.6km)でありますが、2か所に分かれているとはいえ、清水部線40.0km+帯広部線42.0km=82.0km<※2>と十勝鉄道は、昭和21年(1946年)-同26年のわずか数年、総延長日本一の軽便線でした。

戦前スタイルのままでの輸送力・機動力での活動が続いておりましたが、暫くすると、当然のように、戦後一気に進んだ道路の整備、運搬車両の改善・増産など、トラック輸送の抬頭に対抗すべき有効な対応策も次第に無くなり、段々と路線を縮小していきます。

 

まず合併前の河西鉄道が昭和26年(1951年)に全廃。以後帯広部線・十勝鉄道にも同じ運命が待っていました。

急速に衰えた十勝鉄道の最後の区間は、通学用に残された帯広大通・川西間で、駿遠線よりずっと早く、昭和34年(1959年)に廃止になりました。

 

しかし、従来4線区間であった十勝鉄道オリジナルの1067mm区間、「帯広貨物駅・工場前(地元の甜菜工場)間」は昭和52年(1977年)まで存続しましたし、今回惜しくも最後の最後を迎えた「帯広貨物駅・日本甜菜製糖芽室製糖所」の貨物運行は21世紀まで残りました。

芽室の専用線は延長5.4kmで1067mmゲージ。主力機はオレンジ色(バハマ・オレンジでしょーか?)に、キャブ横に角ゴシック調で「十勝鉄道」と大きく書いたディーゼル機関車がひときわ目立ちます。

 

ところが、今度は、専用線途中にあった日本オイルターミナル帯広営業所が近々廃止されることになり、従来から引き受けていた石油製品輸送が必然的になくなってしまいます。

すると、甜菜糖の輸送手段を鉄道のみに頼るのは十勝鉄道単独ではコスト高になってしまうので、今後トラック輸送に切り替わるとのことです。

後々不動産部門を日本甜菜糖に譲渡(十勝鉄道は元々ここの関連会社)し、親会社なしの純粋な「地元の運送屋さん、屋号はそのまま”十勝鉄道”」として再出発します。

 

また、ず~~っと以前、狭軌線廃止の折、762mm用ディーゼル機関車、DC123(1953年、日立製、12t、143ps)は、かの豪雪地帯の頚城鉄道に譲渡され鉄道廃止まで在籍しました。

粘着力があり、力持ち、そこそこの性能<※3>かと思いますが、エンジントラブルが多く、現場での苦労は多かったと聞きます。

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川西地区の思い出

実は、私、多少「川西地区」に縁がありまして・・・話は、私の学生時代までさかのぼります。

昭和54(1979)年、大学の悪友連中の道東旅行は、帯広から始まり、「川西地区」の友人のお宅に泊めていただきました。

十勝鉄道の廃止直前の終点の地域に友人宅はありました。

川西は、帯広の中心部からほぼ南に約9km下ったところにある市街地です。

友人に十勝鉄道の話を聞くと、御両親が即座に、車輛が帯広の緑ヶ丘公園に非常に良好な状態で保存されていること<写真1,2>、鉄道を「ポッポ汽車」と呼んでいたこと、遊びにいった当時、まだ「十勝鉄道」と言う屋号は残っていて(私は既にどこかの企業と統廃合されたと思い込んでいたものですから、大変驚きました)鉄道と運送業者としても大変盛業であることなど 教えてくださいました。

 

十勝鉄道4号機(日本車輛製Cタンク)+コハ24
<写真1>
十勝鉄道4号機(日本車輛製Cタンク)+コハ24

 

十勝鉄道4号機(日本車輛製Cタンク)+コハ24
<写真2>
<写真1>の近接

 

保存車輛の説明板
<写真3>
保存車輛の説明板

 

藤方面(旧・戸蔦線)への道床跡の道路
<写真4>
藤方面(旧・戸蔦線)への道床跡の道路、川西方から望む

撮影日:<写真1-4>昭和54(1979)年8月1日。
撮影地:<写真1-3>帯広市、緑ヶ丘公園。
<写真4>川西地区南端からさらに南方に向かう路上で

 

もっと、びっくりしたことには、それから30年以上たって、「十勝トテッポ工房」というお菓子屋さんが、札幌駅売店でチーズケーキを売り始めたことです (今は撤退?)。世間の狭さを感じました。

 

十勝トテッポ工房のチーズケーキ
<写真5>
十勝トテッポ工房のチーズケーキ。平成23(2011).4.28札幌駅売店で購入(去年ですよ~)、
同日撮影。

 

脚注

 

<※1>帯広地区の甜菜糖会社の略歴

大正8年(1919年) 北海道製糖創立
大正9年(1920年) 旧日本甜菜製糖(株)創立
大正12年(1923年) 明治製糖(株)は旧日本甜菜製糖(株)を吸収合併

昭和19年(1944年) 明治製糖(株)は北海道製糖(株)を傘下におさめる
北海道製糖は社名を北海道興農工業(株)に変更
昭和22年(1947年) 北海道興農工業(株)は日本甜菜製糖(株)に社名を変更

<※2>北海道新聞の十勝鉄道の最長営業距離は1946年の88.5kmとしております。

私は日本鉄道旅行地図帳、北海道、新潮社、今尾恵介氏監修の数値をもとにしました。

<※3>同時期のディーゼル機関車として、道内初のトルクコンバータ搭載の寿都鉄道DC512があります。

こちらは昭和30年(1955年)汽車製造。
機関はDMH17B(160PS/1500rpm)ですが、1067mm軌間用ですので、
出力は同じころの762mm軌間用より20-30%程大きいものが採用されるはずです。
ですから、十勝鉄道の機関車出力は160PSx0.7=112PSからx0.8=128PSの間にあり、妥当と思われます。

 

写真・文/黒羽 君成