汽車旅モノローグ~鉄道小話

鉄道の話題・今昔話を綴るブログ。旧「黒羽君成の鉄道小話(北海道コラム)」

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北海道コラム担当 自己紹介その1

2018/06/10

皆様はじめまして。

北海道コラム担当の、黒羽君成(くろう・きみなり)と申します。
今回だけ自己紹介かたがた、御先祖様の土地の話をさせて頂きます。

 

私の本家は、元々栃木県の黒羽(こちらは「くろばね」です)というところにあったようです。

東北線・西那須野から東進、10年ほど前から、ヒレ肉ブロックで車が1台買えると話題になった牛がおります「大田原市」を通り抜け13kmほど入ったところに黒羽町はありました。

しかし、平成の大合併、平成17(1995)年10月から大田原市の一員となっております。

その付近の交通網を受け持っている交通会社に「東野(とうや)交通」というバス会社があります。

この会社は、大正7(1918)年4月から昭和43(1963)年12月までは、西那須野ー大田原ー黒羽の鉄道も経営する東野鉄道という会社でした。

さらに遡ること、大正13(1924)年からは黒羽よりもっと奥の山間部、黒羽・那須小川間に路線をのばしましたが、業績不振だったためか、戦雲あやしくなって人の出入りが減るのを恐れたか、昭和14(1939)年6月には奥地からは早々に撤退しております。

黒羽も「機関区、車掌区」などあったという「役得」だけで、鉄道が存続しておりましたが、比較的まともな収支であったのは、西那須野・大田原間だけと言われていました。

 

さて、この「東野鉄道」は西那須野・黒羽間13.1kmの小私鉄ではありますが、私に土地・苗字に使われる漢字の読みの難しさを改めて感じさせてくれました。

まず、この交通会社は、「野州の東部」を受け持っているぞ!という気慨から「とうや」鉄道。
それから、今ベストセラー作家の御一人であります「東野圭吾」氏は「ひがしの」。

もう、遠い昔話のようですが、初代・水戸黄門様役の「東野英治郎」氏は「とうの」。

と読み方は三者三様です。

 

また、黒羽の手前に「白旗城址前」という無人駅がありました。

私は、中学生の頃迄、よく調べもせず、「戦う前からgive up宣言している城の駅」と思っておりましたところ、「源氏に味方する白旗」と言う意味でした。

地元の方にお話しして居たら、大笑いされるか、大目玉を食らっていましたでしょう。

 

さて、最後になりますが、貴族政治の頂点にたった藤原氏。

各地に分家もしております。加賀藤原の「加藤家」。

伊勢伊賀藤原の伊藤家等ですが、栃木にもいました。那須藤原の須藤家が。

皆様、黒羽町のことほんの少しでも御理解が深まりましたでしょうか。

それでは、時々顔を出しますのでこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

文/黒羽君成